恋愛って、何?結婚って、何?
89569 物的欲望からの解放
 
大木康子 ( 55 山口 主婦 ) 05/04/26 AM00 【印刷用へ
ここ数年、消費の伸び悩みが続いている。最近、デパートの売上の減少が報告されたが、この傾向は今に始まったことではなく、ここ数年ずっと続いている。私自身、デパートへ行くことも最近殆どなくなった。それでも年にほんの数回、多忙な時間を割いて出向くことはあるが、その殆どがお中元やお歳暮の時期や、親しい方へお誕生日やその他のお祝い品の購入の為の時だけである。

 振り返って見れば、私の子供の頃の’50年代〜’60年代は、デパートは子供心にまさに「夢の楽園」であった。ご褒美にと兼ねてから約束してあった「欲しい物」を買ってもらい、大食堂で家族揃っての昼食。屋上の遊園地で遊ぶ。月に1度か2度のそんなささやかなことで、子供心は幸福で満たされた。また、’60年代〜’70年代にかけての高度成長期。自活するようになってからも、やはりデパートは、「買いたい物、欲しい物」に満ちており出向く度に、あたかも「欲望の坩堝」に吸い込まれて行くような不思議な感覚に襲われた。

 しかし、ここ数年デパートはもはや、「夢の楽園」でも「欲望の坩堝」でもなくなってしまった。子供達でさえ、「お誕生日に何が欲しい?」と聞いても、「別にない」と答える。我が身を振り返っても、つい先日、娘から「母の日のプレゼントは何がいい?」と聞かれ、思わず「別に・・・」と答えていた。認識露店のお題にも、「特に欲しいものがないのは何で?」というのがある。現代人がこんなに物的欲望が失せてしまったのはいったい何故なのか?’50年代〜’60年代、更には’70年代にかけての人々の物的欲望は、’70年代の高度成長が終焉し、豊かさが実現された頃から大きく変化してきたからだろう。

 私権全盛の頃、人々はこぞって「三種の神器」から「3C」を買い求めた。消費生活には「デモンストレーション効果」というのがある。所謂「見せびらかし」の買い物である。米国のセールスマンの殺し文句は「隣のジョンも持っている」の一言だと聞いたことがある。テレビが一般家庭に普及し始めた頃、屋根に高いアンテナが立つと購入したことが周囲に分かり、購入していない者からはそのアンテナは羨望の的であった。「隣が車を買った」「隣がピアノを買った」からと、虚栄も手伝って高価な耐久消費財を買う。元来それらは気の向くままに選択的に買うべき随意的消費支出なのだが、食費を削って無理をしても買い求めてしまう。おまけに巧妙なTVのCMに踊らされ、いつのまにかローン地獄に陥ってしまった。という例も少なくなかった。そんな当時を振り返って見れば、確かに『「物的な豊かさ追求」が、近代を貫く誰もに普遍的な目標共認』(33821)だったことを実感する。

 >だが、’00年、私権観念(「お金第一」「自分第一」で社会のことなど関係ないという観念)が崩壊し、一気に社会不全が膨らむと、遂に「豊かさ追求」という目標共認も溶解し始める。そして、「物的な豊かさ」という目標が溶け崩れて、初めて『必要か、必要でないか』という真っ当な判断基準が潜在思念の奥から姿を現してきた。
>だから、『必要か、必要でないか』という認識は、決定的な一つの答えとなる。この認識が伝播するのに応じて、真っ当な判断の土俵が確立されてゆく。そして、真っ当な土俵が出来さえすれば、そこでの必要判断が物や芸能から認識へと、次第にシフトしてゆくことは、云うまでもない。
『認識形成の場』は、この土俵の上に(新しい演場の開拓者として)登場することになる。(33821)

 で述べられているように、貧困が消滅し豊かさが実現された後には、「物的な豊かさ追求」は もはや「普遍的な目標共認」ではなくなった。かつて、物を購入するに際に、「皆が持っているから」「物的な豊かさが、便利で快美で幸福な生活をもたらすから」ということを誰しも信じて疑わなかった。そこには『必要か、必要でないか』とういうような判断軸は存在する余地など無かったのだ。豊かさが実現されて初めて、人々は物的欲望から解放され、心の拠り所を精神(=新しい認識)に求めだしたのだと思う。 



 
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