朝日新聞の記者として有名だった本多勝一が「職業としてのジャーナリスト」で以下のようなことを書いている。
「私がジャーナリストになったのは、正義感とかそういった類の動機ではない。探検家として世界中のいろいろなところへ行ける魅力や、単に面白そうだから。そんな単純な理由である。」
また、「正義感の強い人間は、むしろこの世界に入りにくい。」とも書いていた。
以前、ある新聞社の説明会を受けた時のことを思い出した。
若手の有望社員が、僕たち入社希望者に語りかける。
ジャーナリストの面白さ。そして、苦労。
夜討ち朝駆け。そして、特ダネをつかんだときの興奮。
武勇伝を誇らしげに語るその姿に、他の人はどう思ったかはしらないが、少なくても僕は相当シラけていた。
「いい記者とは、特ダネをとってこれる記者。他の会社を追い抜く気概。被害者の気持ちとか情とかは2の次においておいて、それが最優先課題である。それらを捨てきれないような人は、記者には向かない。」
確かに、今のマスコミ界はそうかもしれない。
「なんか違うよな。そこまでしてなりたくはないわ。」
幻滅とともにそう思った。いや、だからこそ、マスコミ界を変えるためにも自分が行かねば!なんて格好いいことを一瞬考えたりもしたが、考えただけに留まった。
そんな簡単に体制が変わるわけもなければ、それを変える自信は正直ない。
そして、今もマスコミはあのマスコミのまま。
後日、1次試験通過の結果が届いた。
そして、2次試験の日、僕は彼女とのデートを優先させた。
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