>もともと国家は、私権闘争を圧力源=活力源とする、力の序列原理に貫かれたその統合体として形成された。しかし、生涯固定の身分制度の下では、私権拡大の可能性は封鎖されて終う。そこで、私権闘争の抜け道としての市場が形成され、繁殖してきた。そして今、その抜け道としての市場さえ活力を失って終った。
これは、明らかに私権闘争の終焉を意味する。そして、私権闘争が終焉したということは、私権闘争の止揚・統合体である国家の命運も、遂に尽きようとしているということに他ならない。実際、バブル期以降の国家の迷走ぶりは、すでに誰も目にも明らかである。
最近のニュ-スで取り上げられている社会保険庁や大阪市職員に対する厚遇問題。
以前は政治家や個人の不正が叩かれていたのが、組織そのものが糾弾されるようになってきた。
最早、私権闘争の止揚・統合体であった国家や地方自治体もガタガタになってきているのは明らかである。
でも未だにその中にいる人達だけは、高速道路、新幹線を整備しろ、福利厚生費を一律無くすのはけしからんと言っている。
いつまでたっても彼らは己の私権にしか反応できない、社会の傍観者なのだ。
傍観者には現実に役に立つ答えを出せないし、己の私権を脅かすことに批判する事しかできない人達なのである。
だが彼らの存在基盤はガタガタ、消えて行くしかないのである。
>もはや人類は、生存圧力を背景とする私権闘争を圧力源=活力源として生きてゆくことは出来ない。
人類の命運は、次の新たな活力源⇒圧力源を自らの手で作り出せるか否かにかかっている。
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