>(オスメス)分化という差異化=遠心力の形成に対して、相互に惹きあう(という仕組みを作る)ことによって求心力をつくり、統合しているといっていいと思います。言葉を変えれば相互に収束することで統合されているのです。この相互収束は相互の性的吸引力を土台にして、更にサルと人類の場合は雌雄充足共認(1548四方氏)によってもたらされています。またオスメス分化も本能的なものに加えて役割共認によってより差別化が図られています。つまり最先端機能である共認機能に収束することで役割分化を推し進め、統合も成されています。(50697 雌雄分化における統合 北村氏)
以上のような、有性生殖の生物を貫くオスメスの構造は、現代の人類の基底部を形成しています。しかし、体力的に強いオスと弱いメスのようなわかりやすい分化の構図だけでは、これからの共認社会における男女の役割は捉えられません。そのことが、現代の性も闘争も含めた活力衰弱や、男女の差異(=吸引力)が見えにくくなっている理由の一つだと思います。性も含めた活力再生のためには、共認社会では、男女の差異であり吸引力でもあるそれぞれの役割な何か?という視点が重要かと思います。
歴史を簡単に追うと、まずは、一般哺乳類では、オスの本能的闘争性(≒体力)とメスの生殖能力の分化、原猿ではオスの本能的闘争性(≒体力)とメスの性も含めた親和能力の分化、真猿では本能的闘争性(≒体力)+(序列)共認による集団統率力とメスの性も含めた親和能力の分化、の段階。この段階では、オスの本能的闘争性の強化とメスの性・親和能力が差異(=オスメスの吸引力)の核になり、その能力差を同性内で共認して序列統合を実現した、といえると思います。
また、人類の私権時代も、観念を使っているという差異はありますが、基本的には個体の他者に対する優越性(体力・懐柔能力・お金)をもとに、序列統合を実現したという意味で、真猿段階にほぼにかよっています。これらの時代では、善悪は別にして、本能に近い部分を評価指標としているため、男も女もどうあるべきかというのが肉体的にわかりすいという特徴があります。それゆえに、男女の差異(=吸引力)はっきりしていて、性も含めて(歪んではいるものの)活力が出ていたのだと思います。 |
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