私には子どもがいないので、母親の気持ちは分からないが、赤ちゃん・子どもを見ていると、無条件に可愛いと感じる。ましてや、自分のお腹を痛めて生んだ子どもならば、可愛いに違いない!と思っている。恐らく、多くの女性がそう思っていることであろう。
しかし、世の中の全ての母親がそう思っているのであれば、乳幼児期の親和欠損は起こり得ない筈である。しかし、事実として親子間の虐待・親和欠損は頻発している。
>生命体が複雑化≒高度化してゆくにつれて、保育の必要が高まってゆき、親に保育本能がセットされてゆきます。この保育本能が親子をつなぎ留める訳ですが、この本能は保育必要期のみ作動する時限本能であり、保育本能が作動しなくなれば、新個体がさっさと新世界へ出てゆくという基本形は変わりません。(中略)
その後哺乳類は胎内保育機能を源流とする親和本能を発達させてゆきます。そうなると、親和本能によって子がそのまま居残ることになり、それでは多様化という適応原理が損われるので、巣離れor親離れ本能がセットされたと考えられます。(2194)
母親が子どもに対して感じる「愛しさ」というものには、保育本能と親和本能が関わっていると思われる。とすると、子どもに十分なスキンシップを与えない母親は、これらの本能が正常に作動していないのだろうか?
>個性や自立が何よりも重要だと教えられた世代の母親にとって、多くはわが子もそのように育てることが必要だと信じて疑いませんでした。そのために、「一人で寝かす、添い寝はしない」「泣いてもすぐに抱いてはいけない」など、乳幼児期にこそ必要なスキンシップが欠落し、親和欠損・親和不足をもたらしてしまったのだと思います。(70279)
恐らく、個人主義を初めとする誤った観念を刷り込まれ、それらを羅針盤にして子育てをしているのではないだろうか。そう考えると、本能が正常に作動しないのも納得できる。本能ではなく、観念でする子育て。そこでは個人主義に基づく「自分の子ども」などといった子どもに対する執着心も湧いてくるし、本当に保育が必要な時期をすぎても、子どもから離れられない母親も出てくるのではないだろうか。
また、今の親和欠損の若者の母親たちは、私権時代を生きてきた世代。そこでは、子どもさえも自らの私権獲得のための道具となる。表向きは「子ども第一」だが、その深層にあるのは「自分第一」。だからこそ、親和欠損も起こるのではないだろうか。
>観念を巧みに操りながら、十分な親和充足を与えられない自分を知らず知らずのうちに正当化して、子供を染脳していくことになります。(69447)
『「子供」という旧観念』(84017)で阪本さんが述べられているように、「小さな大人」でしかなかった「子ども」を、個人主義を初めとする観念によって「自分の子ども」などといって囲いこみ、甘やかし、放ったらかし、虐待し、自我教育によって染脳していっている…。
>生物にはもともと親子関係など存在しなかったのです。(2194)
子育てにおいても「旧観念無用!」であり、新認識が必要なのだ。
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