’70年貧困の消滅と私権の衰弱
84507 イイ子・ワルイ子
 
笠原光 ( 30代 岩手 デザイナー ) 05/01/23 PM11 【印刷用へ
●評価軸の共認があってこその集団性であり社会性

いい子の非行が増えている。とは一見矛盾した現象に見えますが、これはわたしたちの住む社会が、現在、評価軸(規範)を統合し得ていない事の顕著な証ですね。たしかに、昔はイイ子は家庭内でも社会的にもイイ子で、ワルイ事をする子は家庭内でも社会的にもワルイ子でした。それは日常的に至極当たり前の事で、更に言えばイイ子はイイ子の自覚があり、ワルイ子も、ワルイという自覚をもってワルイ事をしていました。そういう意味では例え行為の良し悪しはあったとしても、評価軸は共有されおり、どの断面で切っても統合されていたと言えます。

ところが、現在の評価軸はどうでしょう?最近の少年犯罪の事例が示しているのは親子関係や学校での関係ではイイ子で、社会的にはワルイ子が増えており、また共通して当人にその自覚がない。と言うものです。大人や社会は、その当人達の悪気のなさ、責任感のなさ、反省色のなさ、犯罪性の大きさに驚きと怒り、そして衝撃とともにその異常性を感じます。けれども、彼らの言っている事はそれほどまでに異常で、非常識な見当はずれな言い訳にすぎないのでしょうか?

「皆でワイワイガヤガヤしながら何かをするのが楽しいかった」

この事自体は否定するものではありませんし、ましてや肯定すべきものです。課題を共認し役割を決め、みんなで評価し合いながら行動する。共認動物としてのあるべき姿と言えます。

「成績が良ければ何をしても許される。」

成績の良いことが第一価値である親子関係、学校関係の中では、現実そうでしょう。武力時代には力、私権時代には身分や金さえあれば何をしても許され、現在の大人社会であっても法律を守れば何をしても許されるわけですから。

「反省したから(犯罪の)責任は消えた。」

親子関係や友達関係、学校関係の中では、反省して謝ったら許してもらえるというのは至極当たり前のことです。特に親子関係やなかま関係とはそういうものです。

「別の自分が悪いことをした。本当の自分はまじめである。」

周りの評価=自分ですが、評価軸が変れば当然行った行為に対しても与えられる評価が変ります。(極論ですが、戦争ではたくさん人を殺せば英雄で、平時には一人殺しても犯罪者です。)これまでどおりの価値軸で行動し、突如マイナスの評価を与えられる。その評価は自分の事として一旦受け止めざるを得ないものの、当人にとっては訳がわからない。いままで真面目なイイ子という評価しか与えられてこなかったのであれば尚更で、「もし自分が悪い事したのであれば、それは本当の自分ではない」この理由付けは良くわかります。

彼の言う「別の自分」とは「別の評価軸軸」の中にいる自分であり、「本当の自分」とは、人生の99%を過ごした「今までの評価軸」の中にいる自分なのでしょう。


結局のところ無自覚に行われた彼らの行為、これらは全て社会的に評価軸が共認され統合されていれば、本来全く問題のないものばかりです。つまり評価軸が混在し社会的に統合されていない事がやはり問題なのです。また、イイ子が犯罪を起こすという極端な事例でなくとも、よく目を凝らしてみれば、わたしたちの社会のいたるところで同様の現象が見られていることに気付きます。

それは親子関係と仲間関係では評価軸が異っていたり、仲間集団ごと、男女間の違い、小学校、中学校と教育過程を進む中でも評価軸の断層があり、その転換期ごとに断層を孕みます。中でも学生から社会人になってからの評価軸の変化は誰しもが体験している事でしょう、社会に出てすらも、企業ごとに、客先ごとに評価軸が異なっています。ましてや個人における評価軸はについては「人それぞれ」が実態なのです。

つまりこのように、多かれ少なかれ今の社会は法律という唯一の社会的評価軸に抵触する行為の発覚に至らないまでも、同一存在でありながら実態は関係や存在している場が変るごとに、その統合している評価軸が分断され、行動指標が変っているのです。これはイイ・ワルイがその時々で入れ替わるという、社会的にも主体的にも分裂症状態にあるということなのです。

少年犯罪に如実に現れるこれらの現象とは、決して個人的な価値観や価値判断の領域の問題ではなく、誰しもが抱えている社会的評価軸の不在の問題であり、社会的評価軸の統合課題そのものを示しています。これはイイ・ワルイの指摘・教育云々以前に、やはりみんなにとってのイイ・ワルイの評価軸の中身=答えの必要が問題の核心であり、その提示と、その共認による統合こそが今の社会に求められているということです。

わたしたちに今必要なのは、結果だけをとりあげて安易にイイ・ワルイという価値判断を下す事ではなく、みんなにとって共有できるイイ・ワルイという評価軸を事実を基に認め合うプロセスなのです。

リンク
 
  List
  この記事は 18261 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_84507
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
181571 良い子と悪い子とのさかいめが見えない時代 和田哲郎 08/07/19 AM02
129663 自己中規範を叩き潰し、共同性規範の形成を! 小松由布樹 06/09/01 AM03
129654 「成績が良ければ何をしても許される。」って思うのなんで? 小山瑠里 06/09/01 AM01
129405 みんな期待を顕在化させた”規範”の再生が必要。 丸一浩 06/08/29 PM03
129393 「評価軸なし」という恐ろしい社会不全 正国稔 06/08/29 AM11
115613 分断された密室空間では ハイネケン 06/05/23 PM10
100701 社会統合の実現基盤は整った 新川啓一 05/11/11 PM10
94765 テレビから学ぶ 匿名希望 05/07/18 PM11
93763 事件に対する評価 北村純子 05/07/02 PM02
(小中の時の)友達と『二度と会いたくない』と思ってしまうのは、何で? 「なんで屋<男塾>梅田」 05/04/04 PM11
(小中の時の)友達と『二度と会いたくない』と思ってしまうのは、何で? 「なんで屋<男塾>梅田」 05/04/04 PM11
87593 キャラ変換 匿名希望 05/03/19 PM01

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
新しい潮流7 同類圧力は、新しい認識によって生み出される
新しい潮流8 現実を対象化するための概念装置
新しい潮流10 外向仲間収束は、観客から協働者への移行の土台となる
新しい潮流11 外向仲間の拠点(収束核)が、認識形成サイトである
新しい潮流12 外向仲間の本質は認識仲間である
新しい潮流13 認識仲間の実現基盤
新しい潮流14 社会空間における本源共認の実現形態
認識形成サイト1 認識仲間の演場となる拠点サイト
認識形成サイト2 単なる共鳴・伝播と参加・協働の違い
認識形成サイト4 市場原理の観客読者と本源原理の協働読者
発信欠乏は、喉元まで出かかっている
認識の営業は、相手を選ばない
対象は、ネットに馴染んでいない普通の人々
認識営業の『まつり場』こそ、『原初の社会』である
新しい社会の原基構造
認識を伝えた相手にも、同じ充足感を味わってもらう
認識営業の条件:対象はあくまでも新しい相手
私達は「気付き」始めた
本当にどんどん広がってる!
新たな世代間対立の始まり
みんな期待に応える場では、全員が供給者=需要者
サークルの引力と交流会の引力
バラバラだった社会現象が、交流会では繋がっていく
心斎橋(アーケード)路店でA
心斎橋(アーケード)路店でB
心斎橋(アーケード)路店でC
「次は、路上の時代になる!」と言い切った、その女の子。
共認運動の最前線(なんでや露店)と後方基地(なんでや勉強店)1
勉強って、こんなにも面白いものだったとは!
なんでだろう?を超えてしまった高校生
おばちゃんの表情に見る社会不全の表出
なんで屋さんはなんでも屋になれる
否定を超えて可能性基盤へ 
大衆の言葉の変化もプラス思考で
発信するために、受信する
ツイッターで、ひたすら皆の役に立つ事実を伝える。自らが媒体になりきる。

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp