最近、人類の進化について勉強し始め、猿についての様々な文献を目にするようになりました。その中で感じた事は、「人間を何か特別なものとして考えてしまっているのではないか」という事。
もちろん、ヒトはどのように進化してきたのか?サルが持つ機能の中に、ヒトにも本来発揮できるであろう機能があるのでは?など、人類の進化を考える上での役立つ認識を探りたいという研究者の想いを読み取る事は出来る。しかし、イマイチ繋がらない。
それは、
>生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。(実現論1_1_01)
>歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。
(実現論1_1_01)
この観点が抜けているからでは?と思います。
人類は猿から進化したというのは紛れもない事実。猿について考えるときに重要なのは、「外圧に適応してきた、猿時代から今までの一瞬一瞬全てが塗り重ねられてきている」ということ。サルとヒトの共通点を探るだけの学問では、人類の持つ諸機能が現状の閉塞を切り抜けられるかどうかを追求する事は出来ない!
サル学にも新認識が必要!! |
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