何故ここまで妻が回復できたのかは、当時まだ考える余裕もありませんでした。
しかし、すっかり体調も回復し普段どおりの日常を送れるようになってから、妻に何であんなに回復できたのか、思うところがあるかどうか聞いたことがありました。
その時私が確信したのは共認の力が病を治すのだという事です。
実は妻が脳梗塞になってから10日間までは殆ど回復しませんでした。
実際妻に聞いても、「脳梗塞になってから1週間くらいまでは現実を受け入れることができなかった。ついこの前まで普通だったのに、なんでこんな事になるの。なんで私だけこんな目にあうの。となかなか今の自分を受け入れることができなかった。だからそんな気持ちの時はいくらリハビリしても、いくら周りが励ましてくれても、全然心にははいってこなかった。」という気持ちだったようです。
そしてなかなか回復していかないが故に、周囲の人間はますます不安になり、そんな状態の中で私自身も不安に押しつぶされそうになる一方で、“夫だから気丈にせねば、妻を助けなくては”とその不安を押さえつけていました。
しかし10日位たった頃、その不安も私自身押さえつけられなくなってしまい、妻の前で大泣きしてしまいました。不安な気持ち、寂しい気持ち、つらい気持ち、全部妻の前で出してしまいました。そんな私を見て妻も大泣きしました。妻も今まで抱え込んでいた気持ちを全部私の前でだしました。
その瞬間から妻の気持ちが変わったようです。この病気を治そう、リハビリ次第では治るかもしれない、周りの励ましにも応えたい、という適応の力が生まれてきました。そして実際目に見える形で体が動くようになり、言葉がしゃべれるようになりました。
>この様に、不全感を揚棄する為に、相手の課題=期待を自己のそれと重ね合わせ同一視することによって充足を得る回路こそ、(未解明だが、おそらくは快感物質βエンドルフィンを情報伝達物質とする)共感回路の原点である。(実現論1_4_05)
近代医学では解明できない現象というのは多々存在する。妻の経験もその一つだと思いますが、その未解明の大部分が、実現論のなかにたくさんあるように思う。人間とはやはり共認動物なのだと、この投稿を書きながらつくづく思うし、私たちの共認機能に感謝の気持ちで一杯です。
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