年金を払っていないという人と年金を払っているという人の数人で、年金について議論したことがあります。
年金を払っていないとする人の言い分は、自分の父が年金を払っていたにも関わらず、年金の受給年齢に達するまでに他界してしまい、単に年金の掛け捨てになってしい、それ以来、その方は年金を払うのを止めてしまったという。
一方、年金を払っている人の言い分は、受給年齢に達すれば年金は支給されるし、現に老人を抱える世帯にとってみれば、収入源が確保でき助かっているから、年金は支払った方がよいというもの。
どちらの言い分にも違和感が残る・・・。
前者の場合は、誰もが本来持っているはずの相互扶助という考え方に依拠しており、社会という概念が欠落しているように感じます。
また、後者の方は「自分さえよければ」という意識が強く、借金になっていることや負担が増えるであろうこれからの人たちのことは微塵も感じていない。つまり、社会(国)に依存しており、ぶら下がり的な発想に近いと思われます。
あえて比較するならば、年金を払っていない前者の方がまだマシなように感じる。
年金制度には違和感を持つ(あるいは何とも思っていない?)人が増えているようで、特に国民年金では、全国平均の納付率が'02年度で62.8%になっている。
つまりは、意識・関心がなくなりつつあるというのが、現在の潮流となっているようである。
では、どうすればよいのか?
'70年以降、私権に裏付けされた生存基盤は崩壊しており、個人や単位集団ではどうしようもないところまできている。
いまこそ「自分からみんなへ」と認識転換できた者達の手で、潜在思念を基盤に年金制度に変わる社会全体を包括(統合)するような制度を創っていくことが求められているように思われます。それが創造できさえすればぶら下がり的発想の人たちも追従するしかないように思われます。
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