雪竹こんにちは
>観念回路のあり方(どのような思考をするか)は、最下部の適応エネルギー=統合力とその先の本能・共認の潜在思念のあり方に規定されているのだと思います。そして、観念回路自体は、概念や概念を固定化した言語を司る位置にあり、意識構造の上では、適応欠乏や潜在思念を固定化し、表現するというツールの役割を担っているのではないかと考えられます。 (7368雪竹さん )
同感です。現代人は「考えて答えを出す」と構えたとたんに、それまで植え付けられた観念の上を知らず知らずなぞって思考するという、落とし穴に落ちているように思います。この結果、自由な発想は制限され、同じ壁にぶつかることになります。
この問題を解消する方法として、中山正和氏が考案したMN法という発想法があります。
リンク
このサイトだけではわかりにくいのですが、従来の発想法と違って論理的思考を強制的に分断し、イメージの世界に一旦入り、再度そのイメージから現実の課題を再統合してみる、という発想法です。最初は何のことかと思いましたが、実践してみると結構効果があります。それ以上に、普段何か問題にぶつかって、解決できるときの頭の中はこうなっているんだなぁと解ってきます。
サイトに沿って簡単に解説すると、「身体についた不快なにおいを消す方法」(商品開発の一例)があり、これを解決するために、キーワード「消す・消える」を選びます。次に、このキーワードから連想されるアナロジーとして、課題とは殆ど関係のない「霧」「忍術」「殺し屋」・・・を出します。一応「消す」とか「消える」という意味にはあっています。そして、その一つの「霧」について、そのバックグラウンドではなにが起きているか?類推します。
霧→「陽があたる→温度があがる→赤外線→紫外線」とアナロジーします。紫外線なら涼感がする「紫外線は?」「新幹線のWCには、小さな紫外線殺菌灯がついている」あれは、においを消すため。紫外線は、アンモニアを分解してしう。という風に。
ここで、霧のバックグランドには特別な意味があるのではなく、「考えて答えをだす」と力んである固定観念から発想してしまうことを回避することに意味があると思っています。そして、この状態になると、いろいろな発想が出てきます。そして、チームで行いますから、それぞれの潜在思念で引っかかった内容が言語化されます。そして、その段階で最終的な答えに結びつけるようにします。
この方法をとると、いろんな発想が出てきます。答えに結びつける段階では、あまりにも跳びすぎて利用価値の少ないもののほうが多いですが(ジョークねたにはかなり効果のあるものが発掘できます)、確実にかなり広い視点からのアプローチが出来ます。ひとりで考えるときでも、こういう発想で考えるようにしています。あまりにもとっぴなことを言い出して、キョトンとされることもありますが。興味のある方はお試しください。
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