>支配階級に長年蓄積されてきた「土着集団婚に対する嫉妬=コンプレックス」が土着風俗を否定し「貞操観念」を支配観念に押し立てていったのである。(67760、山澤さん)
支配階級の土着集団婚に対する「嫉妬」が原因かどうかには疑問があります。なぜなら、当時の支配階級も元を正せば所詮地方の下級武士であり、若者衆などで村落の性習俗の充足体験を持ち一般庶民と近い位置にいたと思われるからです。
考えられるのは、身分(立場)が変わった。それも、国家権力と近代思想を背景にした(新しい)身分意識から沸き起こってくるものではないでしょうか。明治時代初期(文明開化)における新支配階級(地方の下級官僚や実力者含む)には、従来の一般庶民の「祭り」に代表される庶民の風習全般を「野蛮なもの」「下等なもの」とする意識があったと思います。
この頃、全国各地で庶民の旧習俗に対する様々な統制や規制が繰り広げられていたと思います。例えば、裸体で外を歩くことの禁止、男女混浴の禁止、立ち小便の禁止など。中でも「祭りへの規制」、「路傍の石仏の撤去」や「講や若者組の廃絶」など、庶民の「つながり」を断ち切り、共同体管理から国家管理へ転換していきました。
この時期に統制や規制が盛んなのは、裏返せば、実態がいかに(統合者からみれば)乱れていたかを物語っています。従って、当時の庶民への習俗(特に性習俗)への弾圧や抑圧の実態が判れば、逆に一般庶民の性意識も見えてくると思います。「夜這い」が昭和初期まで残存していたことを考えると地方での男女和合充足の根強さが伺えます。
明治初期の転換期の事例は少ないのですが、神奈川県のローカル紙「横浜毎日新聞」の1870〜1875年(明治4〜8年)の間の寄書き(投書)の中に民俗信仰への介入の様子が紹介されています。(引用先:リンク)
横浜は居留外国人が多かったのでなおさら、外国人の目を意識した知識層発の観念による民俗信仰への介入の共認形成が、全国よりも進んでいたと思われます。
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