団塊の世代と若者の対比がよく取り上げられていますが、今いちばんヤバいのは団塊の世代でもなく若者でもない、私たち30代後半〜40代の中間世代ではないかと感じています。なんで屋露店に来る率が低いのもこの世代ではないでしょうか。
上の世代が学生運動にまい進する姿と挫折を経て次々と「転向」していく姿を子供の目で眺めてきた。そして貧困が消滅して誰もが私的快楽追求に向かう'70年代から'80年代に成長期を向かえる。上の世代から観念や運動に対する‘無’可能視がそのまま転写され、生存圧力が働かない環境の中でそういう活動をする事は圧倒的にカッコ悪いことだったし、観念は捨象してしまった。
上の世代が権力に屈したからといって無難に過ごすのはカッコ悪い。だから自分たちは社会の事など考えずにひたすら私権追求。輝く(=女にモテる)ライフスタイルを追求するのだが、それはいっぱい冒険して(遊んで)いるように見せながら学業も仕事もできるというものだった。存外に規範や制度には従順で、規範破りをしているように見せかけながら隠れて勉強するというような姑息な生き方をしてきた。
そんな時代が長く続くわけも無くバブル崩壊を経て私権追求の活力も衰弱した。老後の保証など自分達に無いのは理解している。意識では旧規範にすがりつくのは嫌なのだが、社会が閉塞しているのを感じ取っても観念捨象は根深く、形骸となった私権闘争、私権規範に相変わらず身をおいている。旧規範に屈服したつもりはないが、若者のようにフリーターにはなれない。旧規範から脱した若者や新しい可能性を追求する露店に対して否定も肯定もできない、実に中途ハンパな世代である。
「ハチマル現象」が起こっているらしい。若い歌手に80年頃の流行曲をカバーさせたり、ドラマの主題歌に使ったりする。昔のドラマを現代風に焼きなおししたのが人気だとも聞く。現在、流行している芸能や趣味は'80年代にそれを享受した世代が、発信する側になってノスタルジーに浸るかのように若者に向けて発信しているという。
結局(あの頃はよかった的な)自分観念をいちばん引きずっているのがこの世代ではないか。まだまだ長く生きなければいけない今、10年後,20年後を見据えて生き方を選択しなければいけない。若者達にノスタルジーを押し付けたりしている場合ではない。現実を注視し「自分」を捨て、「みんな」に目を向けなければ自分達に未来は無いのだ。 |
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