マスコミに支配される社会
67043 政治家からマスコミへの権力移行の流れ
 
石橋直樹 ( 39 大阪 企画営業 ) 04/01/20 AM00 【印刷用へ
>70年貧困が消滅し、生存圧力を克服したとたんにこの絶対的な序列意識が音を立てて崩れていったように思います。70年当時の田中角栄首相も初めはマスコミに家を建ててやるなどして懐柔していましたが、最終的にはロッキード事件で失墜させられたのを皮切りに、その後の宇野首相の妾によるスキャンダル暴露など有力者が悉く力を失っていった事が序列崩壊を端的に現しているように思います。(59487)

確かに'88のリクルート事件後に中曽根内閣を継いだ宇野首相('89)は上記の通り。海部内閣で一時凌いだものの、'91バブル崩壊後、証券疑惑が相次ぐ金融不祥事、'92宮沢首相は従軍慰安婦問題も謝罪して乗り切ろうとした矢先、佐川急便事件からゼネコン疑惑へと続いて、踏んだりけったり。新党ブームで担がれた'93細川政権以降、連立政権で何とか体裁を整えているのは今も変わりません。

これら80年代以降の政治家の弱体化とマスコミ権力の強大化は明らかですが、政治家が第一権力者であった時代からの過渡期を事象で追ってみたいと思います。

'50年吉田内閣の時代、池田勇人国務大臣が「貧乏人は麦を喰え」(正確には「所得に応じて、所得の少ない人は麦を喰う」)と言ったり、'53年吉田首相が「無礼だ」「バカヤロー」と予算委で暴言を吐き、不信任案を可決されても、解散総選挙後に首相に指名されたのは、政治家の権力の強大さを象徴しています。

翌'54年には、造船疑獄に関与した佐藤栄作幹事長が逮捕されそうになった時、犬養法相は指揮権を発動して逮捕を阻止しています。それだけでも今の感覚では驚きですが、吉田首相は「汚職、汚職と言うが、流言飛語に耳を貸すな」とまで発言しています。

一方50年代後半からテレビの受信契約が毎年倍々で増えていきながら、'56週刊新潮、アサヒ芸能、'58大衆、'59文春、平凡に至って週刊誌ブームがマスコミの共認域を広げていきます。

60年代前半は所得倍増計画で順風満帆でも、後半になってくると佐藤栄作総裁で闘った'67衆院選で自民党は初めて得票率が50%を割ります。この辺りから政治家の権力が下り坂になってきているように思います。そこで「棚ぼた」を得たのが革新勢力とタレント議員ではないかと思います。

'67の美濃部都知事に続いて、'71には黒田大阪府知事と飛鳥田横浜市長と革新政権が成立。'73には神戸市長、'74には京都府知事(再選)と香川県知事と革新首長が続きます。しかし、'70年代後半には京都府、東京都、大阪府と相次いで革新政権が倒れたのは、時の政権が力を失った一時の「棚ぼた」であったことを意味しているのではないでしょうか。

タレント議員の進出が顕著になったのは'68の参院選です。石原慎太郎、青島幸男、横山ノックなどはこの時大量票を獲得して政界に進出しています。この頃がマスコミ時代の選挙の先駆けだったのではないでしょうか。当選したタレント議員が国政では何もできず、せいぜい都政や府政に鞍替えするのが関の山となった事実が、マスコミ主導による票流を感じさせます。

革新政権とタレント議員の'70年代から、'80年代の片時の社共躍進後、前述の'90年代以降ガタガタ政権となって、マスコミの第一権力化が歴然となってきたと思います。
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
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「やりがい」に潜む社会的欠乏
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「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
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『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
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