>そこに可能性はないのか?といえば、まさに、誰もが不全、不可能視にぶちあたっているという現実の中にこそあると思います。というのも、そのような根本的な不全、不可能視を、これまでの時代は、ことごとくゴマカシ続けてきたからです。(65160)
自分たちで共認を形成することや、私権序列を越えることに対する不可能視。私権社会が万全で、変革が不可能な時代にはそんな実現不可能な不全は、さっさと笑ってゴマカシて捨象して、目先の分かりやすい私権課題に没頭する方が、私権社会での迷いが少なく活力があった。
お笑などが必要とされたのも、人々の活力になって、社会の前進力になるから。だから、
>私が学生の頃には、バカ話でもして、明るくしなければ友達もできない、女にもモテナイという、(今から考えれば不思議な)雰囲気がありました。(同上)
笑って、馬鹿話して、ゴマカシて捨象する男の方が、可能性があり、人々を惹きつける魅力ある人に映っていたのだと思います。
しかし、いま、みんなが社会不全を感じて、その不全を捨象しようにもしきれない時代。そんな時代に、捨象しきれない不全を無理に笑ってゴマカシて、みんなを不可能視の地平に留めている人達を、みんなは「最も時代遅れな人(=最も適応できていない時代遅れな人)」と認識しているのだろうと思う。 |
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