共認心理学:現代の精神病理
65160 若者の不安に不可能視から可能視への転換の基盤を見る
 
阪本剛 HP ( 30 千葉 SE ) 03/12/04 AM00 【印刷用へ
>>笑顔のタブー
>>私たちのときは「不安や悩みがないと仲良くなれない」みたいな面がありました。

>共認充足を何よりも求めてるはずなのに・・・なんで?


 共認原理は、本源的、根源的ではありますが、大変デリケートなものでもあると思います。
 例えば、露店でも、勉強店でも、その場に、一人でも否定性、固定観念の強い人間がいれば、場全体が重くなる、というのはよく経験することです。
 どんな仲間集団でも、充足性、実現性、本源性の高い人材は少数派であることが多いと思います。逆に、何らかの不安を抱えていることが多いでしょう。
 その時に、場の共認の中心は、可能視ではなく、不全によって統合されるのではないでしょうか?不全や否定は誰でも簡単にできますが、新しい可能性を対象化し、実現するのは誰にでもできるわけではない、というのが現実だからです。
 (心の奥底では新しい可能性があればそちらに収束していきたいという欠乏があるのでしょうが、無数の旧観念、旧制度、しがらみがその可能性を閉じこめていくのでしょう。可能性が明確に言葉にできない限りは、共認などできないでしょう。)

 無表情になるのも、その背後には、どうにかしたいが、どうしようもならない、という可能性収束と不可能視の鬩ぎ合いで疲れていく、あきらめていくからなのでしょう。
 
 では、そこに可能性はないのか?といえば、まさに、誰もが不全、不可能視にぶちあたっているという現実の中にこそあると思います。
 というのも、そのような根本的な不全、不可能視を、これまでの時代は、ことごとくゴマカシ続けてきたからです。
 そのゴマカシ方は、いろいろです。宗教、信心によってゴマカす、芸能・娯楽によってゴマカす、馬鹿騒ぎすることでゴマカす、など、私権時代は、ゴマカシ方が大いに発展してきたし、ある意味でゴマカス方法に長けた者は評価される、という時代だったと思います。

 しかし、時代は、そのようなゴマカシの空気全体の底を、大きく割ってしまったのだと思います。もはや、ハンパに明るくすると仲間から嫌われる、というのは、そういう態度こそ胡散臭い、もうゴマカしでは耐えられない、という時代の雰囲気の表れでしょう。本物の可能性でなければ、もはや充足できないことを、感覚的に理解しているのかもしれません。
 
 私が学生の頃には、バカ話でもして、明るくしなければ友達もできない、女にもモテナイという、(今から考えれば不思議な)雰囲気がありました。しかし、その「根拠のない明るさ」は、どこか不自然な明るさです。そんな明るさを拒否するほうが、今の時代はまだ健全=実感を伴っている感じがします。
 万人が社会の底に潜む不全、不可能視をヒリヒリと感じざるをえなくなった、というのは、そこから反転する大きな基盤だと見なせると思うのですが、いかがでしょうか?

 
  List
  この記事は 65136 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_65160
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
65344 得体の知れない不全を突破できるか 岩井裕介 03/12/09 AM00
65300 普通の人と繋がれる場とは? 志水満 03/12/07 AM03
65293 親世代の責任。 阿部紘 03/12/06 PM10
65284 無表情に充足する時を待っている人たち 大森義也 03/12/06 PM07
65279 現実否定から現実肯定へ 山上勝義 03/12/06 PM01
65267 昔、魅力に感じた人は、今では・・・・・・・ 上平貴昭 03/12/06 AM01
65252 普通の表情 三宅秀和 03/12/05 PM09
65232 オジン層の破壊をくいとめる 新井秉永 03/12/05 AM11

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
超国家・超市場論1 新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?
超国家・超市場論2 闘争(能力)適応 と 共生(取引)適応
超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ
超国家・超市場論4 同類闘争の圧力と共認統合の限界
超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?
超国家・超市場論6 生存圧力に基づく同類闘争から、同類圧力に基づく同類闘争=認識競争へ
超国家・超市場論7 私権闘争を統合した 力の序列共認
超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である
超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会
超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない
超国家・超市場論12 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある
超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源
超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』
超国家・超市場論15 『認識形成の場』こそ、新しい社会統合機構の中核である
超国家・超市場論16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動
超国家・超市場論17 新しい社会統合機構が、国家機関を吸収・解体する
超国家・超市場論18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
超国家・超市場論20 認識形成は遊びではない、生産活動である。
超国家・超市場論21 『認識形成の場』が、なぜ有料化されるべきなのか?
超国家・超市場論22 お金は、現実の必要度を測るモノサシ
超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく
超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく
超国家・超市場論28 新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?
超国家・超市場論29 新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する
超国家・超市場論30 実現の論理
判断の土俵と解体・再統合 大学の例
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
社会統合組織の史的総括 国家と教団
社会統合組織の史的総括 市場と演場
大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく
マイナス原因構造とプラス実現構造という両輪
支配階級の私有権は絶対不可侵だが、庶民の私有権は剥奪され得る

『るいネット』は、46年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp