>学生時代のゼミの話ですから、もう25年も昔のことですが、当時はマスコミで強烈な消費者金融への批判が高まっていました。事例としては借金苦からの一家心中。ところが、報道の数は増えているのですが、警察庁発表の数字では増えていないのです。「マスコミとはこういうものだよ」 貧困が当たり前の時代ではそんなに珍しくなかった一家心中の原因は消費者金融が全てだというようにマスコミは攻撃を始めていたのです。社会悪=消費者金融を糾弾する正義の味方として。現在は多額のCM料を払ってくれるありがたいスポンサーの位置に収まっている。「マスコミとはこういうものだよ」ゼミの先生の言葉がよみがえってきます。(60031)
つまり、マスコミは自分で「消費者金融批判」を焚き付けておいて、消費者金融法という法律が整備されて、合法化して騒ぎが沈静化した後はたくさんのCMや広告をしてくれる「優良顧客としての消費者金融」として迎え入れる。この節操のなさに、開いた口が塞がらないのは私だけだろうか?
また、いままで一切触れなかったのに、ここ数ヶ月頻繁にマスコミが取り上げているものの一つに法外な利息を請求する闇金融に関する報道がある。脅迫的な借金の取立ての場面の描写があり、それに突き動かされる形で行政・司法・立法も遅まきながら対応を始めたところである。
これもおかしな話で、被害者が闇金融に手を染めるまでには必ず消費者金融を通過するはずであるが、このことに関する報道はない。
過去の借金事故歴から、銀行やノンバンク、カード会社など合法的な金融機関から借金ができないから、追い込まれて違法な闇金融に手を出してしまうのに、そういった構造やシステムに関する部分は一切報道されない。暴力的な取立ての部分をカメラは追っても「ことの発端であるカードを使った過剰消費」や、「利息の高い消費者金融からの借金」がいとも簡単にできることの問題点には一切触れない。多くの信販・カード会社や金融会社のスポンサーを抱えていては触れるわけにはいかないといったところか。
これを身勝手といわずになんと言えばいいのだろうか?
もっというならば、近年、消費者金融などの高利貸に対する社会的批判も表面化し、「金貸し」に対する共認圧力が高まりコマーシャルや広告はしにくい状況になってきている。だから、広告スポンサーとしてうまみもなくなってきたので、「そろそろ切り捨てる潮時」か、もしくは金融批判をチラつかせながら「広告の単価を上げてやろう」くらいの腹積もりなのかもしれない。
また、逆に考えると、闇金融に手を染めた行き詰まった被害者が、他人に成りすまして多額のカード使用をしたり、借金をしては夜逃げをするといった確信犯的詐欺行為による損害が経営を圧迫し始めてきたので、闇金業者締め出しの圧力を金融会社とマスコミで画策したのかもしれない。
亀若さんご指摘にもあるように、25年前のことを考えると、マスコミはそれくらいのことはしそうであると疑われても仕方ないのではないだろうか。
>マスコミのいわゆる情報操作は皆さんが指摘されるように貧困が消滅した70年代から始まりました。あたかも自分達が意識潮流を作っているというふうに。けれども、結局はスポンサー(金主)の意向のままに操られているのです。(60031)
自分の私益を最優先するマスコミの姿とその手法は、世論を形成できる、つまり共認を支配していることを悪用した恫喝そのものといえ、かつその体質はバイブン屋の時代から一貫して変わっていないのである。
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