> 共認形成の要にいるマスコミが70年から急速に力を持ち始めた(59487)
共認形成の要の位置にいる、という意味では、マスコミと並ぶもう一つの存在として学校が挙げられます。
実際、私たちが使う観念の大部分は、成長期に学校教育の中で一方的に与えられてきたものです。そして、自然科学の知識はともかく、道徳や倫理といった価値教育の中味はマスコミの発信内容と同じ旧観念一色です。マスコミとともに、旧観念による現在の閉塞を生み出してきた一方の元凶が学校であるのは間違いないと思います。
しかし、未だに社会に大きな影響力を及ぼしているマスコミに比べて、学校の方は、学級崩壊や不登校、学力低下問題etc、むしろその凋落、衰退現象の方が目立っているように思います。
学校の指導や授業は「生徒は先生の言うことを聞くのが当り前」という暗黙の共認を前提に成り立っています。これは言い換えれば「先生は偉いもの」という無条件の身分共認です。つまり学校はマスコミ同様、人々の共認を一方的に支配し得る立場にいるが、その現場の方法論は実は旧い序列原理であるという二重の構造を持っているのではないでしょうか。
そのため、'70年、本能原理から共認原理の転換により、旧い身分序列に依存する教育現場からまず機能不全が起こったのでしょう。学校は今では見る影もないほどかつての共認支配力を失いつつあるように見えます。
学校がもはや旧来のような存在ではあり得ないことは、既に当の教育関係者自身さえ身に染みて感じ始めている段階です。さらに、身分序列から解放され生起してきた当事者欠乏から、マスコミの共認支配に対する人々の違和感・不信感もどんどん強まっています。みんな共認という本格的な共認原理への移行は着実に進んでいるのだと思います。 |
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