江戸時代、大衆向けに発行された瓦版は、火事・地震・外国・番付・政治戦役・奇談などのジャンルに分類されています。また、心中や討ち入りを扱った芸能(=代償充足)も、いわばメディアとしての機能を持っていました。
もともとマスコミの存在基盤は、「拠らしむべし、知らしむべからず」という序列原理による統合の下で、(大衆が)当事者としての共認充足を封鎖されたことにあり、それは今でも変わっていないのだと思います。
だからマスコミとは、最初から序列社会における傍観者であり、かつ寄生存在だったのでしょう。
生存圧力の消滅は、否応無く従うしかなかった序列原理による社会から、共認原理社会へと転換させました。(59487)そして今、序列時代に成立したマスコミへの違和感が増大しています。
共認形成の主役がマスコミからみんなへと変われば、発信者=受信者(57124)となり、需要者=供給者となって(55326)、マスコミの成立基盤は無くなるのではないでしょうか。
現実とは人々の意識(20355)なのだから、みんなで作る共認の場が拡大すれば、みんなの思いはストレートに実現していく(=現実となっていく)はずです。
「共認充足を追求すれば法律も不要になる 」(59639)のと同様、共認の場が拡大すれば、マスコミは過去のものとなり、みんなで作る共認の場こそが「現実」となっていくに違いありません。
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