70年代以降、生存圧力の克服を背景に、政治家や資本からマスコミへと権力が移行していったのは、社会を貫く力の原理が移行していった事を端的に表しているようです。
しかし、今度はそのマスコミが主導して形成する共認が、私達の思考を縛り支配してしまった事は、この閉塞した社会に対し皆思考停止したままである、という状況からもいえると思います。
実のところマスコミも、共認や解脱を一方的に供給し支配するという構造において、それまでの「資本の集中」という構造と根本的には変わりませんでした。それを支えてきたのは、社会のに対して傍観し、口をあけて「笑いと涙」「代償充足としての社会、政治批判」を求めている私達自身でした。
しかし、もうテレビは面白くありません。役に立たない旧観念でうめ尽くされた新聞もつまらない。見知らぬ人々とも共感しあい(57628)、社会不全についての率直に共認しあうこと、自らそのような場もつことのほうが引力を持ち始めている。
ですから、根本的な人々の欠乏の次元において、すでに権力の基盤は解体しはじめている。共認を一方的に供給し支配するというマスコミの権力基盤は、崩れ出していると思われます。 |
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