>70年以前の日本は土山さん(59310)が仰るように飢えの圧力という生存圧力を基に権力者から末端まで身分意識序列意識というものは絶対的なものとして働いていました。
>しかし70年貧困が消滅し、生存圧力を克服したとたんにこの絶対的な序列意識が音を立てて崩れていったように思います。
(59487 喜田さん)
過去から現在への人々の意識の変遷を追ってみると、いろいろ発見がありますね。「序列意識の解体」の事例は、これまで参加した交流会でもいっしょに参加した方から多く聞かれるところでした。
昔は、たくさん財産があったら、大企業・有名企業で働いていたら、いい大学に入れたら、・・・「すごいねー」というみんなの尊敬があったのが、今は、そういう序列の上位にいることがさっぱり羨望の対象でなくなってきているようです。
>70年貧困消滅というのは社会の統合原理が生存圧力を基盤とした本能原理(=序列原理)から共認原理へとパラダイム転換した時代であるといえそうです。
(59487 喜田さん)
統合原理が共認原理に移行しても暫くは、私権序列に代わって「知名度」(=マスコミへの露出度?)の序列の上位が羨望の対象だったような気がします。だから、それを仕掛けるマスコミ系が人気企業のトップに来ていたのかもしれません。
しかし、最近では、ある序列のモノサシの上位にいることが、さして羨望の対象にならなくなってきたように思います。序列の上位にいる事を「オレってこんなすごいんだぜ」と自慢したとしても、「・・・で、楽しい?」「・・・で、充実してる?」と問われて「・・・・・・・」なんて言葉に詰まるようだと、誰からも見向きもされない。序列の上位へのしあがる目的のために己を犠牲にしている、という意識が強い人は、今充足してない(現実否定)から場を重くするからかもしれません。
逆に、みんなの期待に応えて嬉々として何かを追求し、すすんで何かを興している人には、勝手に人が寄ってくる。別に社会的地位が高くなくても有名なんかじゃなくても、そういう魅力のある人に人は惹かれるし、そんな人たちが集まれば新しい協働の場ができていく。
私権序列や知名度序列が確実に風化していく傍らで、ふつうの人たちの中でそんな新しい流れが確実に起こっていると感じます。 |
|