>共認原理へと時代が変わったにも関わらず、ごく一部のマスコミや教育機関によって肝心の社会の共認内容が決まっている事に現在の根本的な閉塞の原因があるのは間違いないでしょう。(59487「マスコミの第一権力化」)
70年代以前にあったような、貧困や飢えの圧力が失われたことで、社会の統合は、本能原理から共認原理に変化したのなら、共認は本来、皆の手に委ねられるべきものではないでしょうか? 共認が本当に機能する(現実の力になる)には、マスコミのような一方向的な仕掛けでは不完全だし、何より、今起こっている社会の問題は旧観念でなんとかなるような生易しいものではないからです。
にもかかわらず、現在も指摘のようなマスコミによる共認形成の独占状態や共認支配が続いているのは、特定の職業身分に社会統合を委ねる私権社会の旧制度(身分制度)思考の残滓だと思われます。
マスコミの共認支配とは、この身分制度の上に、本来皆のものであるべき共認原理を当てはめるた(木に竹を接いだような)ちぐはぐな構造で、これにしがみつくと共倒れになることは間違いありません。
社会が既に共認原理に変化した事、しかし共認支配の構造がその可能性を塞いでいる事がわかれば、答えは共認原理を貫徹した(皆の共認を旨とした)社会をいかに形成するか?という一点につきると思います。
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