私権というもの、共認と言うものが、いったいどういう意味であるかを知るまでは、世の中を非常に不透明に感じていたことを覚えています。
新聞であれテレビであれ、どんな話を聴いても全てに裏があり本当の事実はひた隠しに隠されていると感じていたし、そのようなマスコミから聞こえてくる政治というものに対して不信感・胡散臭さ以外の何物も感じることは出来ませんでした。
今から思えば、私権を絶対基盤として成立しているマスコミの欺瞞性に対して、強い違和感を覚えていたのだろうと思います。
>そう捉えるとその共認形成の要にいるマスコミが70年から急速に力を持ち始めた事とも合致します。それまでのゴロツキとは違いマスコミは誰もが憧れる立場に変わっている事も象徴していますし、現在ではマスコミによって政治家が決まっているといっても過言ではないくらい力を持っています。(59487)
テレビの普及に伴い、マスコミは大衆の代表的娯楽としての地位を不動のものにしていきました。ラジオと新聞が主な情報源であった時代性を鑑みれば、動画を持って世界の様々な出来事が映し出されるテレビが画期的なものとして盛況を得たのは当然であったろうと思います。
マスコミは絶対的な情報源となり、他の追従を許さないほどの巨大共認域を形成していきました。そして、このようにして形成された巨大共認域は、その誕生当初から私権と結びつき、あらゆる企業が己の私権の拡大のためにコマーシャルを始めとし、この上ない効果的手法として利用するようになります。
巨大共認域を獲得し、これと私権を結びつけるという特権を得たマスコミは私権世界において絶対磐石の支配体制を築いていきました。既得権を維持するため、マスコミの第一目標は数字(視聴率)の獲得に極端に傾斜し、結果現在の歪んだ姿に至ります。
>そう考えると共認原理へと時代が変わったにも関わらず、ごく一部のマスコミや教育機関によって肝心の社会の共認内容が決まっている事に現在の根本的な閉塞の原因があるのは間違いないでしょう。(59487)
依然、マスコミの支配体制強力なりしといえど、私権の衰弱と共にその勢いも徐々に衰えを見せています。私権という土台を失いつつある今こそ、その共認支配を脱する好機であるといえるでしょう。そのためにはまず事実の認識に繋がる新観念を身につけることが最も重要に成ります。
事実観念の構築から、こういった欺瞞性を認識すること。これが全ての始まりになるでしょう。今活性化している交流会はまさにその中核となる活動だと思います。 |
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