久しぶりの投稿になったので、やや重なる部分もあると思いますが。
まず貨幣の果した意義についておさえておきたい。
貨幣の歴史的に積極的な意味は、地域や属性を越えて個人や集団を社会的に結合させる道を開いたことにある。
貨幣とは交換における指標価値としての役割をもって登場した。
貨幣が登場するまでは、各生産物の価値は、おそらく一回一回の取引において生産物Aと生産物Bの量の比率によって直接的に決定されていたと考えられる。しかし交換が定常的になれば、交換価値の評価指標(モノサシ)が必要になる。
当初は交換が繰り返されることによって、各生産物の交換比率が徐々に一定の値に収斂していったのだろう。(例えば麻1kg=麦10kg)そして次第に特定の貴重品が各生産物の価値の大きさを代替するようになる(例えば麻1kg=麦10kg=青銅500g、この場合は青銅が原初貨幣の役割を果す)。
そして交換が徐々に広域化し、複数集団に拡大するにつれて、指標価値の役割を果すものは、次第に多くの人の認める貴重品=金や銀に収束していったと考えられる。
ここで金や銀(貨幣)が交換を媒介することによって、夫々のモノの交換比率は一律の貨幣量におきかえられることになる。つまりそのことで各生産物と労働の交換における価値は、貨幣量=価格によって数値化させることになる。(例えば麻1kg=麦10kg=パン2kg=豚肉500g・・・=金10g)つまり各生産物の価値は数字によって観念化され共認されることになる。
ここで注目すべきことは、貨幣は、各集団間の交換関係、つまり集団と集団を結ぶ結合関係=同類(闘争)関係の必要上登場し、共認されたということである。
つまり集団を超える、社会統合の必要上登場したという事実である。
逆にいえば市場関係は私権闘争の一つの様式でもあるが、私権闘争の歴史は略奪闘争に始まり、租税、労役などの形で一方的な収奪を結果し、それによって勝者は富の蓄積を図っていった。つまり、この私権闘争のベクトル上には、貨幣が登場する必然性は何ら存在しない。
市場がもたらした、貧困や私権の強制圧力は、往々にして貨幣の存在と同一視され、金は悪の根源の様に錯覚されがちである。しかし、客観的には、貨幣は社会統合の必要から生じたのであって、私権闘争が生み出したものではないことをまずおさえておくべきであろう。 |
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