アイヌと言葉についてもう少しくわしくみていきましょう。
1・歌の民アイヌ
アイヌには文字がないだけに、音声としての言葉は非常に
大切にされ、神の物語であるカムイユカラなど、美しい言
葉で語られた口承文芸も生み出されました。彼らにとって
言葉は体を響かせて語るものです。そして感動が強ければ
それを高らかに歌い上げるのです。
「山へ行っては歌い、川端へ水汲みに下っては歌い、浜辺
に行っては歌う。労働しては歌い、独居の徒然を託っては
歌い、二、三人寄り合っても歌う。酒を飲んで陶然となれ
ば、もう歌い出し、遠く離れた相思の人を哀慕しては、そ
の心持ちを歌に託して自ら慰めるといった村人の姿は、わ
れわれのように、異郷の者として、たまさか村を訪れる者
をして驚異の目を瞠らしめた。」
(久保寺 逸彦:アイヌ文学序説)
どうやらアイヌは「歌の民」でもあったようですね。
2・祈りはカムイとの対話
話し言葉を大切にするということは、当然、対面関係を重
視することになり、一言一言に心が込められていなければ
ならず、言わば神との対話である祈りにおいても本質的な
差異はない、とさえ言えるでしょう。心と言葉の間に「隙
間」があってはならない。礼を尽くし、誠実な言葉で訴え
れば、「霊的な交易の相手」としての神(カムイ)もその
期待に応えてくれるのです。アイヌの長老はこう言います。
「いくらいいことを言っても心が伴ってなかったら、神に
ウソこいて、人にウソこいて、自分にもウソこくことにな
る。・・・北海道の先住民族の神様は東西南北すべてのも
のが神様だからね、信仰ということはね、ほんとにすべて
のものに心をこめて祈るということ。不信仰なものはだめ
だよ。」
言葉の力を重視するアイヌは、トラブルがあっても力で解
決を図るのではなく、チャランケと呼ばれる議論を徹底的
に、ときには何日でも続けるのです。既に触れた、カムイ
への抗議も一種のチャランケと考えられ、カムイもその抗
議が筋の通ったものなら、夢の中でアイヌに謝るそうです。
3・踊りと掛け声
アイヌの輪踊りである「リムセ」において、男たちは刀を
上下に振りかざしながら、力強く大地を踏みしめます。そ
の時の掛け声は、「ホイヤ・ア・ホヘ ホイヤ・ア・ホヘ」
の繰り返しです。ナツメロの「イヨマンテの夜」の「アー
ホイヤー」という朗々たる歌い出しを思い浮かべる人も多
いでしょう。
全身を動かす時の激しい息遣い、その息に乗って体の奥から
迸り出る、言わばすべての言葉、歌、祈りの原材料とも言う
べき魂の叫び、彼らの掛け声をそう評して何の不都合がある
でしょうか。
アイヌには「酒つくりの踊り」「杵つきの踊り」など、労働
の種類に応じた踊りがあります。踊りそのものが、全身で表
現する神への祈りであり、生きた言語である、とも言えます
が、とりわけアイヌ文化において、歌・踊り・労働・祈りは
渾然一体化して彼らの生活の根幹を形成していると言えるよ
うですね。
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