最近最も喧しい「マナー」論議と言えば、「禁煙」「セクハラ」でしょう。この二つの出所をよく考えてみると、「禁煙」は“嫌煙:権”に端を発しているわけですし、「セクハラ」も“女性の:権利”に端を発しています。いずれも“〜権=〜の権利”ということで、旧観念の権化たる近代西洋思想の権利意識がその根源にあるわけです。
ということは、万人の共認たる社会規範とは“似ても似つかぬもの”なんですね。ですから、「マナー、マナー」と言われたとき、胡散臭さを感じるのは当たり前ですね。
しかも、マスコミが、あたかも多数派の意見のごとく、これらの権利を振り回し、大衆共認を形成しようとする。まさに人権ファシズム以外の何者でもないですね。
本来、社会規範は万人の共認によって形成されるもので、万人の共認にまで至っていないのに多数派の価値観を押し付けるのは危険なのではないでしょうか。それが、ファシズムを生み出したのではなかったでしょうか。<58242 今井さん>
仰るとおりだと思います。我々も自戒しなければならないことですね。
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