では、内発的動機づけをはたらかせて、効力感をもちながら課題をすすめられる要件としてはどのようなことがあるでしょうか。
心理学者には、効力感の形成には、まず、努力の主体、行動をはじめ、それをコントロールしたのは、ほかならぬ自分であるという「自律性の感覚」を持つことが重要であるとの意見が多くみられます。
例えば、以下の実験に対する解釈にみられます。
課題の成功に対して、「ごほうび」などの報酬を与えることを事前に知らせておくことは、一時的には活動は活発になる。しかし、その後はむしろ、課題に対する活動の意欲は低下する。低下を防ぐには、次々に「ごほうび」の質を上げなければいけない。そして、最後には、「ごほうび」が与えられない課題に対しては意欲や興味を示さなくなる。また、教師が「点数をつける」などの成績の外的評価をすることは、内発的な興味の低下を招き、さらに、より高い課題に挑戦してみようとする向上心を弱めてしまう。
上記の実験に対する心理学者の解釈は、以下のようなことです。
金銭、ごほうびなどが与えられるとそれを得ること自体が目的となったり、外的評価が与えられるとなるとその基準に合わせるようになり、行動の主体が自分ではない、自分で自分の行動をコントロールできていないとの感覚が生じ、内発的動機付けが弱められるとします。よって、効力感を感じ、内発的動機付けが生じるには、自分は自分の行動の主人公であるという感覚が大事である。
しかし、上記の実験からの解釈は、個人主義思想の傾向が強く、典型的な個人の達成志向社会に生きるアメリカの心理学者からの考察です。この点に関して、疑問があり、問題性を感じます。
上記の実験では、子供は点数をつける教師を「管理者」ととらえているはずです。そこからの評価では、課題を自分のものとしてとらえることはできません。そういった課題に対しては、効力感が生じないのも当然です。すぐにまわりに影響されない「自律性の感覚」が重要であるとの結論には疑問があります。評価でも仲間とか、年長者といった同一視できる対象からの評価はむしろ、効力感を導きます。仲間からの好意的な反応、暖かい交流、自分の成し遂げたことが他の人の役に立った、喜んでもらえたことは、ある意味で評価です。そういった「実感ある評価」はむしろ、達成感を増幅させ、効力感を導き、仲間から必要とされているという確かな手ごたえは効力感を高める際、不可欠に思います。
競争関係での条件では、勝った者は、自分を必要以上にえらいと思い自分に必要以上に自分にたくさんの賞を与え、負けた者に対しては必要以上に価値を低くみる、そして、自分が負けると、自分の能力のなさを必要以上に責める傾向がみられます。そして、結果は自分では変えられない能力や運によって決まると考える傾向がつよくなります。このような条件では効力感は持てません。
効力感を感じるには、自分やまわりに対する肯定的な見方が必要です。そのためには、「自律性の感覚」というよりは、仲間どうしのやりとり、できる者ができない者に教える、年長者が年少者に教えるといった関係の中からくる「実感ある評価」が必要に思います。
教える教えられる関係では、教えることで、教える者に自分に対する自信や、自分に対する肯定的なイメージの発達が促されることが心理学的にも認められています。
また、ひとつの課題の達成をめざして、仲間どうしがやりとりする協同学習条件では、個別学習条件で学習した子供に対して、いくつかの効果が認められています。
@自分は友だちから好かれていると感じる子供の割合が高い。A友だちは喜んで自分を助けてくれる存在であると感じる子供の割合が高い。B学習場面に対する肯定感をもつ子供の割合が高い。
参考文献:『無気力の心理学』『人はいかに学ぶか』(波多野誼余夫、稲垣佳代子) |
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