未知なる回路:気・霊感・予知
5492 祈りの民アイヌ(1)
 
三ヶ本万州夫 ( 壮年 兵庫 講師 ) 01/06/22 PM01 【印刷用へ
 アイヌにとってカムイ(神)とは、人間的感覚を超え出た存在ではなく、自分たちの生活に影響するものの中で、人間が抗し難い力をもつものなら、動物であれ、自然現象であれ、カムイと呼ばれます。その中には伝染病の神のように都合の悪いものさえ含まれます。カムイはカムイモシリと呼ばれる神の国で、人と同じ姿で暮らしていると信じられているのです。

 代表的なカムイには次のようなものがあります。

 シマフクロウ、ワシ、タカ、オオカミ、ヒグマ、キツネ、シャチ、クジラ、カメ、トリカブト、ドクキノコ、丸木舟、臼、食器、家、山、川、海、火、風、水、地震、津波、雷

 これらの中で神格が高いのが、シマフクロウのコタンコロカムイ、火の神アペフチカムイ、クマのキムンカムイ、シャチのレプンカムイです。

 (お稲荷様のキツネなども、原初的な神道では神の使いではなく、神そのものと見なされていたようですね。)

 さて、道具が含まれているのを見てもわかるように、アイヌの神は超越的一神教の神とは全く異なり、むしろ自分の持ち場、役割を分担している「職能神」なのです。

 「自然のさまざまな部分とかかわる職能神は、自然のなかに根をおろすとともに、古代日本人の自然についての経験のなかに根をおろしている。・・・日本の神々は、自然があらわすさまざまな現象、自然のいろいろな活動と密接に結び付いていなければならない。」 (平野 仁啓:日本の神々)

 3606で、松本さんもこう指摘されています。

>「八百万の神々」と言うとき、そこにはキリスト教における神のように全知全能であるものを想像するわけではないだろう。さまざまな対象に神が宿るというのは、自然の中で神さえも己の役割を持っているものであり、万能ではないという思想を示す。神さえも集団で存在するというのが古来の日本人の考え方なのだ。

 では、これらの神々に対して、アイヌの人々はどう関わったのでしょうか。

 イオマンテのような大掛かりな儀礼とは別に、彼らはカムイノミと呼ばれる日々の祈りを行います。その年、最初に採れた鹿や鮭、丸木舟にするために切り倒す木、さらにはハエやノミ、ヒエやアワの糠にさえ、魂送りとしてのカムイノミを執り行うのです。

 「猟に出ては山の林へ祈り、枝川の水神に祈り、狩の神に祈り、沖へ出て、風に遭っては祈り、雨に叩かれては祈り波に脅かされては祈り、猟がなければ、あるように祈り、あればあった喜びを告げて祈り、家にいても、不幸に祈り喜びに祈り、変災に祈り、病気に祈り、イナウ(祭壇に供える木幣)を掻けば祈り、酒を得れば祈る。」
 (金田一 京助:アイヌの研究)

 まさにアイヌは祈りの民であり、祈りこそが彼らにとって生活の規範そのものだったのです。
 
  List
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_5492
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
新テーマ「アイヌ民族は縄文人の末裔か?」 「縄文と古代文明を探求しよう!」 09/11/15 PM10
167390 アイヌにとってのカムイとは何か?(1) 是永恒久 07/12/19 PM05
神を謡うは、同化→読み解き→真似ること 「共同体社会と人類婚姻史」 07/01/02 AM11
117588 自然外圧は敵対・克服するものではなく、 大森義也 06/05/31 PM10
106760 精霊信仰(事実観念)は共認を超え、共同体を実現させた 大嶋洋一 06/03/04 PM11
106742 祈りつまりそれは感謝の念である 加藤弘行 06/03/04 PM10
105869 超越視を忘れ去った現代人 ゲン 06/02/17 PM01
105732 不思議な充足感覚 井上宏 06/02/15 AM01
98405 アイヌの祈りと対象注視 矢野悟 05/10/03 PM01
98151 アイヌの神の「格」はどこから来るのか 佐藤晴彦 05/09/29 PM09
94319 対象全てを全的に肯定視する。 森政子 05/07/11 PM09
94252 祈りとは、肯定視!? 小圷敏文 05/07/10 PM05
87758 アイヌの先人〜続縄文人の祈り…フゴッペ洞窟より〜 澤根和治 05/03/22 PM10
86387 祈りは「感謝と謝罪」 岡村基之 05/02/26 PM10
85759 アイヌ民族と文様 石川笑美 05/02/15 PM11
85227 アイヌの解脱充足様式〜「座り歌(ウポポ)」〜 橋口健一 05/02/06 AM01
85214 人間の役に立つために降りてきた神様 中野恵 05/02/05 PM11
5497 祈りの民アイヌ(2) 三ヶ本万州夫 01/06/22 PM01

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
超国家・超市場論1 新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?
超国家・超市場論2 闘争(能力)適応 と 共生(取引)適応
超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ
超国家・超市場論4 同類闘争の圧力と共認統合の限界
超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?
超国家・超市場論6 生存圧力に基づく同類闘争から、同類圧力に基づく同類闘争=認識競争へ
超国家・超市場論7 私権闘争を統合した 力の序列共認
超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である
超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会
超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない
超国家・超市場論12 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある
超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源
超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』
超国家・超市場論15 『認識形成の場』こそ、新しい社会統合機構の中核である
超国家・超市場論16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動
超国家・超市場論17 新しい社会統合機構が、国家機関を吸収・解体する
超国家・超市場論18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
超国家・超市場論20 認識形成は遊びではない、生産活動である。
超国家・超市場論21 『認識形成の場』が、なぜ有料化されるべきなのか?
超国家・超市場論22 お金は、現実の必要度を測るモノサシ
超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく
超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく
超国家・超市場論28 新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?
超国家・超市場論29 新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する
超国家・超市場論30 実現の論理
判断の土俵と解体・再統合 大学の例
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
社会統合組織の史的総括 国家と教団
社会統合組織の史的総括 市場と演場
大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく
マイナス原因構造とプラス実現構造という両輪
支配階級の私有権は絶対不可侵だが、庶民の私有権は剥奪され得る

『るいネット』は、48年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp