精霊信仰から人格神への移行について、前回は自然観の変化を中心に述べましたが、もう一つの道筋として、祖霊信仰の発生があると思います。
人間が死者を弔うことは、ネアンデルタール人の段階で行なわれていたようですが、現存する(していた)未開民族でも、精霊信仰と祖霊信仰を併せ持つケースは多いようです。
ただ、精霊信仰と並存する祖霊信仰が人格神と違う点は、祖霊は見守ってくれたり勇気をくれたりすることはあっても、自然を思うがままに扱うことは出来ない点です。
人類の主要な闘争が対自然から対同類に移っていく過程で、精霊は必ずしも自分たちのみかたをしてくれるわけではないため、自分たちを守ってくれる祖霊信仰が強くなり、精霊が持っていた自然の力を祖霊信仰に吸収統合する形で人格神が形成されていったことも考えられます。
人格神という観念の創造物は、自然圧力から遊離した都市形成=自然崇拝の軽視を背景にして、人と自然が一体であり精霊と祖霊があいまいに混在する信仰世界を、祖霊を中心に構造化・統合化する過程で生み出されたとも考えられます。
大きな転換点は、自然を一段低く見下し、自然を統合する位置に人格神を置いた、そして、この人格神は自然の代弁者ではなく人類の指導者であるという発想に至った点ではないでしょうか。 |
|