西欧科学は狂っている
5229 科学者集団の特徴A
 
蘆原健吾 ( 30代前半 神戸 広報 ) 01/06/13 PM10 【印刷用へ
引き続き、『神になる科学者たち』(上岡義雄氏著)からの引用です。

>5,優秀な研究者ほど、優れた成果を上げるために優れた研究環境に身を置くことを求める。また、潤沢な研究資金の獲得、確保を求める。そのために、魅力的に見える研究構想や仮説を研究計画書に盛り込んで提示し、しかるべきスポンサーから資金を得る。科学のスポンサーは主に政府、巨大企業、研究資金支援団体である。

>6,研究計画書に研究目標が記載されていても、結果的に目標が達成されたかどうかを問われることはほとんどない(軍事研究は除く)。なにがしかの前進があればよく、また、万一その研究に失敗しても資金の返却を求められることはない。科学者はスポンサーに対して道義的責任は負っても、基本的に成果に対する責任を負うことはほとんどない。

この辺の感覚も、企業の感覚からは大きくずれる部分です。成果に対する責任を負わなくていいとは…? 企業だけでなく、普通の人間の集団ではあまり許されることではありません。

>7,科学者とスポンサーとの間、また、科学者と社会との間には「重要なことは真理の発見である」「真理の発見は絶対的な価値である」という暗黙の了解が成立している。それが科学者の存立基盤の一つになっている。

このような意識が、「真理を発見するためなら何をやってもよい」というスタンスを支えていると思われます。原爆を開発した物理学者・数学者の研究グループも、当時は熱狂に包まれて研究開発を行っていたといいます。次にも出てくるように、真理の発見は至上の価値で、それがもたらす社会的影響については「わしゃーしらん」という意識も醸造されてくるでしょう。

>8,科学の知識は没価値・中立であり、ある研究成果が社会的弊害を生んだとしてもそれは科学者、あるいはその研究が悪いのではなく、悪用・誤用した人に責任がある。

科学者には責任がないというのはおかしいのではないでしょうか? 実際、毒ガスも核兵器も軍人や政治家が着想したのではなく、科学者が発案し提案したものです。「研究が悪いのではなく、悪用・誤用した人に責任がある」というのは言い逃れではないのでしょうか。それ以前に、罪悪感を感じることもなく普通に言い訳していられること自体に、ものすごい違和感を感じてしまいます(5202の本田さんの投稿の最後の部分で、本田さんが阿倍被告の発言に感じた違和感に近いと思います)。

「真理の追求」の美名のもと、自らの興味分野への資金の投入を期待して、政治家や軍に働きかけた科学者は数多い。普通、一般の世の中の職能集団はその結果に対して社会的な責任を負っている。科学者だけ「罪なき傍観者」というのはおかしいし、また、科学であれ何であれ、人間が生み出す成果に没価値・中立などということがありうるはずがないのでは? と思ってしまいます。

>9,優れた科学者の中には真理に殉じる精神を持っている人が多い。自然の真理とひたむきに向かい合い、真理の探求にひたすら努力する。私欲を忘れ、人類の幸福のためという夢を抱きながら研究に一生を捧げたりする。しかし、厳しい競争の中で、世俗的欲望に駆られ、モラールを欠いた行動をする科学者も決して少なくない。

前者は、モームの『月と6ペンス』という小説に出てきた画家のイメージに重なります。職場も妻も子供も捨てて、俗世から離れて孤島に行き、芸術を追求して一生を終える話です。後者は、半年ほど前、縄文土器の偽装発掘を行った考古学者や、ピルトダウン人事件で有名な人類学者のイメージでしょうか。

>10,科学研究の内容は一般に非世俗的であり、科学者は非世俗的な価値の下で研究生活を送り、非世俗的な価値を基準に世俗的な世界と接点を持っている。

5202の本田さんは、
>自分達は「白衣の聖職者」であり社会に貢献しているのだから、素人が生半可な知識で意見できるものではない
というような、幻想観念が成立しているのでは…、と書いていらっしゃいますが、私もそう思いました。

科学者も一介の職業人であり、真理に殉じる聖職者などではなく、社会的な影響も視野に入れた研究をしていく必要があるし、一般の人達もそれを監督できるシステムを構築すべきと考えます。

>11,科学者の多くはきわめて優秀な頭脳の持ち主であり、尊敬の目で見られることが多い。半面、専門領域に特化せざるを得ないため、科学者は社会一般の動向や価値観に疎くなりがちである。また、学問領域、学会が異なると、科学者同志の意思疎通が難しい場合が多い。

いわゆる、「世間知らず」と「象牙の塔」。よく言われていることではありますが、これからの発展にはネックになってくるでしょう。

>20世紀に入ると、非世俗的な科学と科学者が、どろどろした世俗と直接接点を持つ場面が急激に増えた。

と、上岡義雄氏は結んでいます。

既に何度か書かせていただいておりますが、「科学者集団の自己閉鎖性と自己充足性」これを解体していくような共認形成をしていかないと、21世紀の科学は、人間にとってとても危険なものになると思います。
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
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新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
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本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
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'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
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潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
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「働きたいから働こう」という意識
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