平野さんがMsg52057でおっしゃっている『マイナス原因のマイナス体系vs実現プラス体系』という視点は、マルクスなどの旧理論と新理論(=『実現論』)の根本的な違いを鮮明に示した的確な見解だと思います。
もしマイナス体系だけを明らかにするなら、人類の略奪闘争の起源で止まってもいいところを、『実現論』では、サルの共認回路・自我回路、さらに哺乳類の性闘争本能、そして生物の適応原理・進化原理まで遡って解明しています。これこそ『究極のマイナス構造』のさらに奥にある『実現するためのプラス構造』を発掘するための所業です。
もともと、プラスを求める感覚というのは、実感レベルでは誰もが自覚していることで、例えば、苦しいマイナス構造の原因分析は敬遠され、安直にプラスに飛びついてはミスを繰り返すのは覚えのあるところです。
確かに、最近の環境運動やボランティア活動が「まずはできるところから・・」とばかりに、ゴミ拾いなどの手近な実践活動に奔走し、結果的にはそれが根本問題を覆い隠すだけのゴマカシの温床になっているのは、最低限必要な原因分析(=マイナス構造の解明)さえ行われてこなかったからです。言うまでもなく、困難な問題であればあるほど、マイナス構造の解明は重要であり、かつては、そのようなものを‘理論’と呼んできました。
しかし、実現可能性が徐々に開かれてきたこの時代に、ほんとうに必要な理論は、単に『究極のマイナス構造』を解明しただけでは不十分で、その奥にある『実現するためのプラス構造』にまで踏み込んだものでなければなりません。
そのような理論を私は『実現論』以外に知りません。おそらく『実現論』こそ、人類史上初めて、マイナス原因構造からプラス実現構造までを網羅した理論だと言っていいと思います。
古代宗教から近代思想までのすべての思想が、『実現不可能視』を暗黙の前提に生まれてきたという認識のさらに一歩先には、この「実践(=運動)の核になる理論の必要十分条件とは何か」という視点が横たわっていると思います。
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