田中さんの主張に同感することが多い。氏はプラス思考、気の持ちようでは現実は変わらないと言う。引用であるが、もう一度その論を見つめてみたい。
>どうも、世で言われている「プラス思考」「気の持ちよう」は、「現実は変わらない」ということを半ば前提にして、だから自分の内部意識を転換すれば楽になる、という思考法のように思います。ここに欠けているのは「現実の中に可能性を見出す」、言い換えれば現実の中にある新しい外圧を対象化する、という点です。(50385)
この論をもとにプラス思考について私の主張「プラス思考は旧観念である」について「プラス思考と宗教」をテーマに、論じる。
宗教は旧観念である。旧観念にしがみついたままで物事を考えるとき、それは一方方向からの視点でしかない。それは以前から伝わる正しいとされてきた視点だ。しかし変化し続けている時代の中で同じ価値観にしがみついているのでは答えが見つかるはずがないのだ。しかもそれらの視点から導きだされた回答は、今まで実現されることはなかったし、これからもされることはない。
そして悪いことに、これらの旧観念、特に宗教などはずっと変化することのない一元化された価値観をあたかも当然で正しいかのように撒き散らしていく。時は流れ、人々の考えは変化し続けているというのに。これはとても不自然なことだと言える。これと同じで頭の中だけで考え、解決を求める「プラス思考」はまさに旧観念である。そこには現実逃避以外の何も残らない。
いつまでもこのような観念に縛り付けられていては、私たちを取り巻く閉塞感から抜け出せるはずはない。頭の中に逃げるにではなく、現実を見て、実現可能な現実をみんなで考える。私はこのことこそがこれからの私たちに必要なことだと考え、このるいネットにその未来を感じている。
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