そして、治療方針決定の日がきました、こちらから提示した意見は「手術は行わない」「民間療法2種類を併用して近代医学の治療を行う」でした。子供の命は助からないかもしれないが全摘出手術で生ける屍のようになることを子供自身も求めていない、という親の代弁でした。この判断は私自身相当悩み、身内からも反対意見がありましたが、そう判断しました。
それからがおおもめでした、医師側は近代医学のみが正当な医学で、その他医療はヤミ医療である。よって、そういう治療を望むなら病院から出て行ってくれということでした。医師の言うことを聞けば治るのなら従いますが、助かる見込みは殆どないのにこれが最高の治療ですと言われても納得できない。患者側の期待としてはとにかく治ってほしい、そのためには有効な方法は何でも使いたいと言うことなのだが彼らには通用しない。今思うと、科学者の専門集団の価値判断とまったく同じものを感じます。
最終的には、妥協案で近代医学の支障のない範囲で民間療法を併用するこを認めてもらい、手術はしませんでした。それから一年間、毎月CTの画像の中の腫瘍は小さくなり、ついにはなくなりました。超難病であったため、学会に対するこの症例報告(学会報告は近代医学の側面だけですが)はかなりセンセーショナルなもので、病院側の評価はかなりあがったらしいですが、民間医療と近代医学の併用の結果、どちらが効いたのかは誰もわかりません。患者にとってはどちらでもいいことです。
ここで、病気が治ることが医療の価値中心であることは間違いなく、その目的は達せられました(子供は、今年高校生になりました)。そして、近代科学のもつ専門家集団の自己完結的価値軸の問題は、近代医療にもそのまま受け継がれており、彼らの集団に任せておいては、患者ひいては社会が何を求めているかということは解らないという構造にあることもはっきりしました。吉国さんのいわれる『本源の科学』とはこのような価値判断の出来る科学ではないかと思います。 |
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