私有婚(とりわけ固定一対婚)は古代の掠奪闘争により世界で普遍化したように考えられます。
実現論の私権時代冒頭にあるように、イラン高原で始まった略奪闘争は、邪心集団の勝ち抜き戦を通して、あっという間に世界を掠奪集団だらけの状態にしてしまいました。
掠奪集団は、勝った集団も、負けて再起を目指す集団も集団統合のために女の掠奪を行うのが普遍的に見られるようです。
たとえば古代ローマの始源は、荒くれの男だけの少数集団(恐らく掠奪闘争に負けた生き残り)が近隣部族を襲い女を掠奪し、妻としたところから始まる。奪われた部族は、女を取り返すために戦いを挑むが、夫と近親の戦いを見かねた女たちの仲介で和解する。戦いに決着がつかなかったことと、正式な妻として扱われていたため、現状を追認して和解した。
(塩野七生さんのローマについての本より)
西欧では、このようなやり方は普遍的らしく、結婚に際して掠奪婚の風習を伝える地方は多い。
ここで注目するのは、掠奪して獲た女も正式な妻として扱っている点です。(もちろんローマ時代の始まりは、イラン高原で掠奪闘争が始まったころに比べてだいぶ時代は下りますが、)これは掠奪集団において、男たちの統合強化のため、あまねく女を分配しかつ、女の取り合い・不倫etcなどの性闘争が起きないように、固定一対婚が様式化(共認)されていたことを示しています。
このようなやり方は、おそらく初期の掠奪集団から、荒くれ男たちの集団を統合するために、行われたのではないかと推測できます。そして掠奪闘争の広がりとともに私有婚(固定一対婚)が一般化していったと考えられます。
(東洋では、本源集団が解体せずに服属という形をとったために本源集団の規範や集団婚の風習が残り続けた。ただ漢民族の固定一対婚度の強さや、議論になっている妻問い婚などさまざまな形があり、まだよくわからない点が多いです。) |
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