>一見まともなニュースに見えるものも、よく見るとこれらの要素がいたるところに散りばめられている事に気がつく。つまりマスコミとは単なる現実の傍観者で在るばかりではなく、もっと性質の悪いことに、現実の一部を切り取ってそれを面白おかしく針小棒大に語る、三文小説的脚色家なのだ。(Msg:37953)
北村氏の投稿にあるように、マスコミの悪しき体質は、許しがたいものである。特に、本来、事実を伝えることが目的である報道が何故ここまで腐敗してしまうのか。
誰に認められたわけでもない特定の集団や個人が、公的な大衆共認の形成媒体を通して、己に都合のいい情報を流していく。その根底にあるのが「言論の自由」「表現の自由」を下敷きとする「報道の自由」。現代の行き詰った社会の元凶である近代思想の「自由」を、あたかも大衆の支持を得ているように見せかけながら、その身勝手さや無責任さを正当化する。
例えば、消費低迷の報道は、消費拡大が答えである事を前提に情報が流される。大量消費により環境が悪化した根本事実には決して触れることはない。
政治・経済・環境・生活等に分けられた報道の紙面では、各分野での一面的で、且つ衝撃的な(大衆が興味・関心をひく)内容しか語らない。学者や識者や芸術家などの論者がその糸を引く。
彼らの旧観念による大衆共認の形成媒体を使った報道は、身勝手さや無責任さでは済ますことができない犯罪的な行為と言っても過言ではない。本当に事実を伝えることを目的にするのなら、当事者の役割として、まずは、実現論やるいネットで、基本的な事実認識を学ぶべきだと思う。
今こそ、一面的な利点のみを語る報道ではなく、グランドセオリーに則った報道が求められる時が到来しているのではないだろうか。
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