バブル入社組の私の学生時代(そして多分今でも)、マスコミ関係は就職先として誰からも羨望の目を向けられた花形職業でした。
考えてみれば、バブル華やかなりし80年代とは、全共闘運動の衰退(37192岡本さん)を最後に「社会のことを考える」当事者の可能性を見失い、急速に芸能・遊興・過剰消費という代償充足に向かった大衆意識と、何が何でも経済拡大を続けたい統合階級の思惑とが結びついて演出された時代だったのではないかと思います。
少なくとも私たちの世代では、「良心にもとづき真実を報道する」といった類の高尚な志からマスコミ関係者を目指す者はもはや皆無でした。政界や財界を超えて大衆評価を集め始めた芸能世界、それを背後から支配するマスコミ(とりわけテレビメディア)という図式が、無意識ながらマスコミ関係を「もっともカッコいい職業」と感じさせたのでしょう。
これは、マスコミ自体が行く宛てを失った社会統合欠乏の最大の代償充足先として認識されたということでもあると思います。そして、代償充足欠乏の最も強い人間が次々と採用されていく訳ですから、発信される情報が悉く人々の代償充足傾斜を加速させるものばかりになるのは必然です。
バブル経済は株式市場の方から崩壊していくわけですが、芸能に限らず、相変わらず不必要な消費を煽るCM、日々流される興味本位のゴシップ報道、批判だけの評論etcを見ると、マスコミ情報の「いかがわしさ度合」は当時に比べてもますます強まり、逆に充足度は急速に下がっているように感じます。
私たちが代償充足と訣別する、ということは、マスコミと訣別する、ということと同義なのでしょう。 |
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