学者とマスコミはグルで頭脳支配
37954 メディアの牢獄から脱するためにA中立を装う価値の裁断者
 
北村浩司 ( 壮年 滋賀 広報 ) 02/08/15 PM08 【印刷用へ
しかし、それらだけではマスコミが現在のような正統性を得るには至らない。正当性を得るためにはもう一つの条件が必要であった。それが支配(統合)共認の形成機関としての役割である。市場拡大によって人々は私権に侵され、バラバラの個人に解体された。しかし個に解体されたとしても、共認の必要は絶対的であり、とりわけ社会秩序の形成上、統合共認とその為の統合観念は絶対的に必要とされた。

マスコミのもう一つの流れは、明治初期に相次いで設立された東京日日新聞(現在の毎日新聞)郵便報知新聞(現在の報知新聞)朝日新聞等に始まる政論紙としての系譜である。それが明治20年代に入ると文明開化=市場拡大ともに広告の掲載や連載小説の掲載に力を入れ始め、大衆化路線を歩みだす。そして、快美刺激と芸能に相乗りする形で、同時に当時盛り上がりつつあった「自由民権運動の拡大キャンペーン」に取り組む。近代思想の拡販である。そして、その後大正デモクラシーを経て、大戦を挟み戦後近代思想が支配的になるにつれ、彼らは社会共認形成の中核機関となっていく。そして、その結果彼らの立場は「公正中立・不偏不党」に収斂していく。

これが何を意味するか。まず公正中立・不偏不党であるということは、もしそれが忠実に実行されれば、あらゆる潮流に対して均等に距離をおくということになる。つまりそれは100%傍観者の立場を取ることを意味する。
そればかりではない。近代思想が一旦支配観念として確立した以上、「公正中立」であり「不偏不党」であることは、彼らの言説は常に支配観念の枠にあり、それに極めて忠実であることを意味する。つまり支配観念の枠を越えるものごとの捉え方(それは最初は常に少数派の異端として登場する)は異端で在るが故に「偏向」として抹殺されることになる。
つまりマスコミとは、公正中立を装った価値の裁断者なのである(実際彼らが『悪』と裁断することで社会的に抹殺されたものは数知れない)。

マスコミは現実の脚色者として基盤を獲得し、人々の眼を現実から反らせつづけてきた。そして脚色者として事件を作り、更に無効となった旧観念(価値観念)に則ってそれを自ら裁断する、そのような巧みな脚色と演出で人々に誤った価値観念を植えつづけてきた。(まさにマッチポンプとはこのことである)しかもその中味は現実否定に貫かれた倒錯充足の観念群である。(20354「観念パラダイムの逆転2」)マスコミはかかる手口で人々を無力な傍観者に追いやってきたのである。

しかし代償観念に過ぎない旧観念は既に力を失い、彼らのもともとの力の基盤である代償充足の欠乏も急速に衰退しつつある。実は今や彼らには力の基盤はない。この間の節操のない日替わりの主役交代(小泉、鈴木宗雄から田中真紀子にいたるまで)は、彼らの三文脚本家としての馬脚を露呈している。

だとすれば、後は彼らの流す言説(脚色と演出)が全て今や無効であり、かつ誤りである、と明確に意識的に断ずること、これこそが既に力を失いつつある支配観念と代償充足の檻から抜け出し、当事者として自分自身の目で状況を捉えてゆく第一歩になる。
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
大学生が授業に出るのはなんで?
「やりがい」に潜む社会的欠乏
カリスマ 〜自分たちが共認できる価値観への評価収束〜 
仲間収束 2:一人でできない子
「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
芸能か、認識形成か

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