アメリカ→官邸→マスコミによる支配
37953 三文脚本家としてのマスコミ
 
北村浩司 ( 壮年 滋賀 広報 ) 02/08/15 PM08 【印刷用へ
新聞社の公式のHPにQ&Aのページがあり、「どんな人が記者に向いていますか?」の問いに新聞協会は次のように答えている。(子供向けだけにストレートに答えている)
>記者には「やじ馬根性」が欠かせない。やじ馬は人の知らないことを見たり、聞いたりして第三者に伝え、「へぇー」とか「すごーい」という反応に接して満足する。
記者は出来事や話題ものを取材して、紙面を通して一般の人に情報を伝達する。したがって、やじ馬根性、つまり好奇心がおう盛であることが求められる。もちろん、責任感と正義感を備えたやじ馬(??)であることが必要。(以上リンク

一瞬唖然とした。しかしよく考えれば確かにそうなのだろう。今でこそ社会の公器を名乗る彼らだが、歴史を遡れば新聞あるいはマスメディアの起源は瓦版に遡る。それ以来今にいたるまで、一貫して記事やニュースの中軸にあるのは「対立と異常事件」である。(つまり火事と喧嘩である)
もちろんこれが中軸にくるのは、最も人の耳目を集めやすいからであろう。つまり面白おかしい、おしゃべりのネタとして、それらが最適であるからだ。
それだけではない。とりわけ対立については、政治的対立から始まって夫婦喧嘩の暴露ネタにいたるまで、対立や喧嘩にはどちらが勝つかというゲーム的要素がある(古代ローマの奴隷の決闘と同じ)。かつ喧嘩に近い対立では、自分が心情的に肩入れしているものが気に食わない相手をやっつけてしまう快感がある。あるいは泥仕合の最中にある双方が互いを貶めあうことに対する、自分にもある人間の醜い部分を見ることによる(おそらく自我の)倒錯的充足がそこにある。
一見まともなニュースに見えるものも、よく見るとこれらの要素がいたるところに散りばめられている事に気がつく。つまりマスコミとは単なる現実の傍観者で在るばかりではなく、もっと性質の悪いことに、現実の一部を切り取ってそれを面白おかしく針小棒大に語る、三文小説的脚色家なのだ。

マスコミは市場の拡大と共に勢力を拡大する。つまり市場拡大によって破壊され、喪われた村落共同体の体感共認に対する代償充足の欠乏を栄養源とする。芸能や演劇がその中でも喪われた本源欠乏に代償充足を与えたのに対して、ニュースはおしゃべりのネタ、つまり面白おかしく現実を脚色して発散するという形で、肥大する自我の発散欠乏に照準を当てることから始まっている。
 
  List
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_37953
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
169279 明治時代から三文脚本家だったマスコミ 丸一浩 08/01/19 AM00
「どうする?マスコミ支配」3〜マスコミによる共認支配の手法〜 「日本を守るのに右も左もない」 07/11/30 PM00
「どうする?マスコミ支配」2〜なぜ、マスコミは拡大してきたのか? 「日本を守るのに右も左もない」 07/11/29 PM00
165442 本当のことを知る みっき 07/11/17 PM10
マスコミが信用できない!! 「ブログ de なんで屋 @東京」 07/02/01 AM02
112040 共認充足が得られないのに・・・ 田中健太郎 06/05/08 AM08
110584 マスコミと集団と社会 越見源 06/04/28 PM07
104904 倒錯的充足の恐ろしさ 是永恒久 06/01/31 PM09
103155 共認形成は皆に開かれた場で 田宮昌明 05/12/25 PM07
98966 9・11同時多発テロは自作自演 高梨俊寛 05/10/12 PM07
97533 カメラの向こうの絶対権力者 働く主婦 05/09/18 PM08
95381 好きな情報を好きなだけ得ることのできる状況が生むもの 浅野信夫 05/07/31 AM09
95128 > 三文脚本家としてのマスコミ 寺嶋眞一 05/07/26 AM05
94782 マスコミや学校教育による染脳は子供たちには通用しない 足立晴彦 05/07/19 PM00
93577 記者が露呈したマスコミ三文脚本家の実像 庄恵三 05/06/29 PM08
93098 マスコミの共認力と風評被害 田中修 05/06/21 PM09
93038 「野次馬根性」が傍観意識を助長させる 渡邊真也 05/06/20 PM07
87878 正義感とジャーナリズム 匿名希望 05/03/25 AM00
86138 マスコミに支配されていることを認識する 門奈津子 05/02/22 PM06
83539 マスコミ報道を解脱ネタとして消費してきた側の責任も重い。 日浦雅俊 05/01/02 PM11
38422 マスメディアに内在する自己欺瞞の構図 岩井裕介 02/08/22 AM00
38296 「報道の自由」の無責任さとその犯罪性 藤本正義 02/08/20 PM10
38269 自ら傍観者の集まりと認めている 末永歩 02/08/20 PM01
38254 社会不全を隠蔽する支配装置 越見源 02/08/20 AM00
38184 もはやマスコミは私達には無用の長物 田原康夫 02/08/19 AM02
38179 新しい認識はテレビ離れを加速する 佐藤祥司 02/08/19 AM01
38107 マスコミに対する危機意識 若林勇夫 02/08/18 PM03
38087 人々の代償充足で食っている代償充足の親玉 田中素 02/08/18 AM03
37996 文学全集と百科事典と新聞 石橋直樹 02/08/16 PM06
37960 マスコミが独占している認識評価を私たち自身の手で・・・ 土山惣一郎 02/08/16 AM00

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

「合同板」必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
超国家・超市場論1 新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?
超国家・超市場論2 闘争(能力)適応 と 共生(取引)適応
超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ
超国家・超市場論4 同類闘争の圧力と共認統合の限界
超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?
超国家・超市場論6 生存圧力に基づく同類闘争から、同類圧力に基づく同類闘争=認識競争へ
超国家・超市場論7 私権闘争を統合した 力の序列共認
超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である
超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会
超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない
超国家・超市場論12 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある
超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源
超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』
超国家・超市場論15 『認識形成の場』こそ、新しい社会統合機構の中核である
超国家・超市場論16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動
超国家・超市場論17 新しい社会統合機構が、国家機関を吸収・解体する
超国家・超市場論18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
超国家・超市場論20 認識形成は遊びではない、生産活動である。
超国家・超市場論21 『認識形成の場』が、なぜ有料化されるべきなのか?
超国家・超市場論22 お金は、現実の必要度を測るモノサシ
超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく
超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく
超国家・超市場論28 新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?
超国家・超市場論29 新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する
超国家・超市場論30 実現の論理
判断の土俵と解体・再統合 大学の例
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
社会統合組織の史的総括 国家と教団
社会統合組織の史的総括 市場と演場
大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく
マイナス原因構造とプラス実現構造という両輪
支配階級の私有権は絶対不可侵だが、庶民の私有権は剥奪され得る

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp