近代思想は17世紀に登場するが、その認識構造は基本的に宗教のそれを踏襲している。
@約5500年前、乾燥→飢餓を契機として掠奪闘争が始まり、それを武力で統合した国家が形成された。その結果、全ての物材は支配階級の占有物となり、私権(財産や地位)を獲得しなければ生きてゆけなくなる。こうして、社会は否も応もない私権の強制圧力によって埋め尽くされ、誰もが私権の獲得に収束する私権社会が成立した。
・この私権の強制圧力は、人々を戦争や貧困や支配・抑圧のドン底に突き落とす。しかし、万人が私権の獲得に収束している以上、その現実を変えることは不可能である。かくして思考ベクトルが、変革不可能視をテコとして反転し、反現実・非現実→神等の架空観念の方向に向かう。このようにして2600年前に登場したのが、ユダヤ教、仏教、儒教などの宗教であり、さらにその思考ベクトルを踏襲したのが自由・平等・人権などの近代思想である。
それまで人々にとって現実=圧力というものは、否定の対象ではなく、あくまでそれに立ち向かい、克服してゆく対象であった。それに対して、現実に背を向けた非現実の架空観念は実現するはずもない。また現実=外圧の変化に適応していこうという、生命原理にも反している。
Aその中でもとりわけ反現実ベクトルの色彩が濃厚なのがユダヤ教→キリスト教である。この宗教の特徴は唯一絶対神を信仰する、一神教であることである。つまり自分たちの神以外は認めない、排他性が強い。その基本的性格に加えて教団が確立していくと、神は絶対→教義絶対となり、信仰内容がドグマ化していく。教義絶対とは異論や異端を認めないということであり、異端は宗教裁判や魔女狩りなどで排除・抹殺され、追求封鎖→思考停止が強要されていく。この追求封鎖→思考停止は、変異や多様性を認めないという点で、生命原理に反しており、滅亡に直結する。
Bさらにそのキリスト教を下敷きにして、西洋で登場するのが近代思想である。
近代思想の「自由・個人・平等」等は現実に存在しない架空観念であり、「神」をあるべき「人間の理性」に置き換えただけのものにすぎないが、この架空観念は同時に、「自我・私権」を正当化するという性格を持つ。とりわけ、「権利」とはただ私権を要求することを正当化した架空観念である。勿論、権利から派生した男女同権論も、生命原理に反する架空観念で、男女同権論が性を封印してしまったことで人類は絶滅の危機に直面している。
この自我・私権の正当化は、必然的に自分のことしか考えない人間を量産し、集団や人類の命綱である共認充足を破壊する。
加えてこれらは、「自由は絶対」「人権は絶対」等の形で一切の異論を認めない=観念支配をもたらす。(異論を封殺する役割を担っているのが、かつての教会に代わる大学や学会である)かくして「自分」以外のことは捨象され、思考停止が蔓延していく。
このように近代思想が人類を滅亡に導く構造は、反現実の架空観念、異論を認めない絶対ドグマ化、自我・私権の正当化と三段階が塗り重ねられており、滅亡を加速させる構造となっている。
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