日本を守るのに、右も左もない
360413 「自然の摂理への同化力」は、自然と一体の生産力そのものから生まれる!
 
酒井俊弘 ( 62 千葉 会社員 ) 20/09/22 PM01 【印刷用へ
物作りの根源には「自然の摂理への同化力」が必要だと思う。この同化力はどこから生まれるのかを考えてみた。それは自然の土、木等のあらゆる対象を無駄なく有意なものに加工・生産する力が根源にありそうだ。この力があれば自然への畏怖が生まれ、自然に感謝の気持ちが湧く。当然、無駄をすれば素直に謝罪出来る。その意味で土や木に触れて実際に加工・生産することが一番重要だと思った。実は、この力は昭和初期までは普通に農山村(国民の9割)に残っていた。

しかし、今は、何も作れず、国の決めた基準や法律及びメーカーのカタログにあったものを選んでPCを使って仕事をするサラリーマンが増えた。だから同化力が無くなった。
私権時代が消滅して本源時代に向かう中で誰かの力になりたい気持ちは生起している。だからクラウドファンディングに向かう。しかし、自然と同化した上で生産した経験がないため起業や本源的な活動のスイッチが入らず思考停止だ。

そこで自然への同化力の有り様を以下の
「気仙大工が教える木を楽しむ家づくり」横須賀和江著 から探ってみる。引用開始。

「 木の文化 」と「 森の文化 」
 
中略
 
日本は、「 木の文化」の国だといわれ、都に住む人々は山の木を巧みに使って数々の道具や建築物をつくってきた。それらの建築物の多くは優れた歴史的な文化財として、国宝・重要文化財に指定され、その数4000棟以上にのぼるといわれるほどの量だ。しかし、彼らの「 木の文化」は山
里で森の恵みを暮らしの糧として暮らす人々の「 森の文化 」への視点が抜けた文化ではなかったか、「 木の文化 」と「 森の文化 」を分けて考えるべきではないか、と内山は言う。

思えば、作家・塩野米松がライフワークとして追求している手仕事をきわめた人たちはすべて「 森の文化 」を生み出した人々であった。彼らは仕事は違っていても森の中ではお互い限られた資源を巧みに循環させながら、根気のいる手仕事を通して、森の木々を守りながら、私たちの日常の暮らしを豊にする道具を造り続けてくれた人々だった。忘れてならないのは彼らの手仕事は農の営みをその根っこに持ちながら、いつも行われていたということだった。手仕事が専門化していき、農の比率が限りなく少なくなることはあってたとしても、バックボーンにはいつも農の営みがあったのではないか。中略


内山の描く山里の暮らしは、 特に水田稲作からはずれた暮らしは外界との接触もほとんどなく閉ざされた自給自足のつつましい暮らしに違いないと考える大方の日本人の予測を大きく覆すものだった。

 日本の森林率67%という数字だけは知っていても、そんな広い面積を占める森で暮らす人々の暮らしや育んだ文化の諸相を視野の外においてきたのが都市に暮らす私たち大方の日本人だった。
一生の間、一つの仕事、あるいは一つの会社を全うするのが上質の人の生き方だとする固定観念が社会通念になったのはいつ頃からなのだろう。

そういう社会では、農業といっても水田稲作農民だけではなく、農業の傍ら商売もするし、鍛冶屋や大工のようなこともできるといのが当たり前だった時代の姿に想像力を働かせることが困難になっていることは確かで、森の恵みをふんだんに暮らしに取り入れて暮らす山人たちの多芸多業はなおさら理解できないことかもしれない。
引用終わり

この後に法隆寺大工棟梁:西岡常一氏の「人間ちゅうもんは土から生まれて土に返る。木もおんなんじだ。土のありがたさを知らなんではほんとのう人間にも、立派な大工にもなれはせん」と祖父の思いの深さを語る話がある。土に触れて自然を感じ、生産する喜びをしる大切さを書いている。

どこを切っても自然の中で無駄を排し、皆で分かち合いながら生産する。そして芸術まで高めて人々を喜ばせている。そのベースは農業、鍛冶屋、大工等の生きていくために必要なことを自由に出来る力だろう。この力が人の喜びに昇華するならば人として本当に幸せだ。
これこそが、自然への同化力がなす業だと思うし、人の生き方だと思う。

生産課題の無い今の学校では得られない力だ。
だからこそ、新しい学びの場が必要だと強く感じたし、創って行きたい!と思った。そういえば昔の村落は正に自主管理共同体で、自然の中で殖産が一体だった。次の社会はこの一体充足が肝になると思った。
 
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