これからの暮らしはどうなるの?
35581 唯物論再考3:唯物論と非唯物論の比較、特に、現実論の動機について
 
岩間克美 ( 40 茨城県稲敷郡江戸崎町 開発 ) 02/07/08 PM03 【印刷用へ
唯物論再考2:唯物論はただしいか?(35421)で、唯物論が正しいことは立証出来ないことをご紹介しました。つまり、「この世界が物質・エネルギー・空間・時間だけで出来ていて、それが生命と云えども例外ではない」と云うことは、間違いかも知れないのです。もちろん、唯物論が正しい可能性も残ってはいますが、唯物論が正しいと云う前提に立つことは、現時点では間違いのようです。ですから、魂や魂に関連する世界が実在するかも知れないとして、可能性の枠を広げて思考する姿勢こそが正しいと云えるでしょう。そこで、以後は、魂は実在するかも知れないとの前提で論を進めます。もちろんは、私個人は、魂の実在を知っています。信じているのではなく、リアリティーを伴なって知っているのです。しかし、客観的には立証が困難であることと、「現時点で誰にでも同じように理解出来るか?。」と云うと、実は「個人個人の魂のレベルによって理解の様子が著しく異なる」のが現実です。それは何も魂の話でなくとも、ちょっと高等な話題になれば物質次元でも同じことですね。ましてや、直接的には魂のことは魂で感じ・理解する以外にないので、人によって認識出来る範囲がより大きく異なってしまうのです。このような訳で、私個人は「知っている」のですが、現時点の論考では、「あるかも知れない」と云う前提で組み立てます。

さて、もし、「魂があるかも知れない」とすると、現実認識にどのような違いが生じるでしょう?。その違いは、ありとあらゆる現実認識に表れるでしょうけれども、話題の大きな中心には「実現論」がありますから、実現論内で語られている内容を例にとれば、手間なしですね。ですから、「実現論」で調べてみましょう。尚、「実現論」は、必ずしも唯物論を承認していませんし、この会議室の論調も唯物論を正しいとは認識していないようですが、語られる論法や結論が、唯物論的です。即ち、魂の実在を前提にした論にはなっていないのです。ですから、結果的には、唯物論的であると云えます。もちろん、「実現論」にしてみれば唯物論的であると位置付けられるのは心外でしょうけれども、結果だけ見れば唯物論的であると云うことに注目して、コントラストを付けるため「実現論」を唯物論の内側にいるものとして扱います。しかし、「実現論」が唯物論を前提にしているとは云っていませんので、注意して下さい。あくまで、コントラストを付けるためです。

まず、人類社会が閉塞した状況あるいは自滅寸前にあるのを何とかしようとして、その具体策の一つとして、同時に、指針に一貫する哲学として「実現論」が構築され、現在共認されようとしていますが、その動機について考えてみましょう。唯物論で考えれば、実は、動機などはなくなってしまいます。唯物論では、「死んだら主観的にはお終いで、後は無に帰すだけ。」ですから、「自分の死後のことはどうでも良い」、「自分の行いには、何等の責任もない、あったとしても、死んだら責任をとるべき主体はいない、故に、極論を云えば、自分さえ良ければ他人のことはどうでも良い。」、「更に云えば、やった者勝ち、奪った者勝ち、やりたい放題した方が良い。」となりましょう。結果的に、社会が行き詰まろうと、人類が滅びようと、地球が死の星になろうと、「今さえ良ければ良い」になってしまい、事実を尽きつけられても、もはやなにも考えなくなってしまいましょう。いや、それどころか、唯物論では自分さえも物質の反応の結果に過ぎないのです。ですから、この世界の全てには、「自分の欲求を満たすか否か」以外には何等の価値もなく、私権にとっての損得感情以外に正邪・善悪はなくなってしまいます。つまり、はじめから、良いも悪いもない、何等の価値も存在しない(価値は人が作り出した観念:非現実だから)と云うのが唯物論の結論です。よって、「実現論」の存在理由も、存在価値も、これを共認する価値も、極論を云えばなくなってしまいます。今さえ生きて行けるなら、必要ないことになります。

しかし、非唯物論(二元論とは限りません)では、そうはいきません。物質の身体から独立した魂の実在を認めるからには、少なくとも物質の身体が死んだ後にも魂は生き続けることになります。意識・自我・個性等を内包した「魂の自分」が生き続けるからには、生前の行いやその結果の社会・地球等の環境と死後の自分の関係について考えてみる必要が生じます。生前と死後の自分に何の連続性や関連性、少なくとも、責任の上での関連性がないのであれば、死後の魂が実在しても、唯物論と結論は変わりません。つまり、死後の社会がどうなろうと、死後の自分に関連がない以上は、「どうでも良い」、「だから、生きている内にしたい放題した方が得」になります。一方、生前と死後に何らかの連続性や関連性があるなら、生前の行いやその結果の問題は、死後の自分に影響します。どう影響するかは、現時点では論じませんが、生前と死後に何らかの連続性や関連性があるなら、死後まで考えないといけなくなります。つまり、生前が死後に影響することを否定出来ないなら、影響することを前提に考え・行動する方が無難である事になりますね。再度、物質の身体を手に入れて生まれ変わるかも知れませんし、生き残っている人達の喜怒哀楽の影響を受けるかも知れません。何が、影響するか、現時点では分かりません。分からない以上は、何らかの推察と云うか、類推をする必要がありますね。例えば、人類を存続・発展させることに魂達にプラスの意義があるとまずいので、とりあえずは、人類とその社会を存続させるように働いておこうと云う類推と云うか、決め打ちが出来る筈です。少なくとも、唯物論では否定されてしまう人類を存続させようとする努力の価値は、「あるかも知れない」、「もしあったなら、その努力をしないでいるよりした方が無難である」となりますね。

このように、動機の点を例にとっても、唯物論を肯定するかしないかで結論や中間的な意思決定に、相当大きな違いが生じます。現時点は、話が複雑になり過ぎますから、これより先の議論:「唯物論が間違っているなら何が正しいのか?」は、先送りにしておきましょう。少なくとも、物質から独立した魂が実在することを前提にする場合には、検討すべきことが著しく増加すること、即ち、「実現論」の内容が不充分である可能性があることをご理解頂きたいと思います。充分に検討をした上で、不必要である事が分かれば、その時点で検討の内容や仮説を捨てれば良いです。唯物論が否定する「善悪」も、もしかしたらあるかも知れない、少なくとも、スタンスを固定することで善悪が生じるのですから、善悪もあるかも知れないと前提できますね。すると、私権を肯定したことの善悪もより明瞭になるかも知れません。と云うことは、魂があるかどうか、あるなら、それはどういった属性を示すかが大切になりますね。それによって、全ての価値判断に追加や修正が必要になるかも知れないからです。

この投稿では、唯物論では動機を上手く説明できないことをお示ししました。唯物論を前提にする不都合を示したと云っても良いでしょう。次は、唯物論では説明出来ない現象:唯物論が間違っている状況証拠について調べてみましょう。
 
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