新しい男女関係(→婚姻制)の模索
352747 恋愛至上主義と核家族
 
西本圭  ( 38 大阪 会社員 ) 20/01/12 AM09 【印刷用へ
以下「ネットワークイデオロギー」より引用
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20世紀前半の世界に典型的な国威発揚の映画を観ると、多くのモダンの人々は、そのイデオロギー性に呆れ、「なんで国家のために、自分のすべてをささげるのだろう」と疑問に思う。しかし我が身を振り返ると、みんなが素直に映画『タイタニック』に酔っている。今の社会では、国威発揚の代わりに「恋愛至上主義」のイデオロギーが蔓延している。これは20世紀後半の高度消費社会が産んだ歴史的幻影である。

このイデオロギーがもっとも鮮明にしかも直接的に反映されるのが家族関係である。そこで簡単にまとめると、家族形成の原理は、その歴史的展開において、まずは親子関係(血縁)を核にして形成されてきた。父系か母系かの差異はあっても、血縁によって家族は維持されていた。それが近代以前のことであり、その家族形態の拡張として国威発揚のイデオロギーが形成されていた。

それが近代社会になると、親子関係に代わって、男女関係が優位になった。そのシンボルが恋愛関係である。血のつながりから、愛のつながりが優先される家族へと、家族(そして社会)形成の基本原則が変化した。だから近代社会における核家族は、まずは男女の恋愛から形成されなければならない。

愛の絆は血の絆を超えるものになった。今のハリウッド映画で執拗なまでに恋愛の価値が高揚されているのは、このような社会的な背景と無関係ではない。わたしたちは無意識に恋愛至上主義のイデオロギーに浸り、これこそが人間らしいあり方だ、と信じている。つまり核家族では、愛がすべての本質である。それを無視して核家族は成立しない。

ほんの少し前までは、誰もが血縁によるイエの継承こそが家族(伝統的家族)のあるべき姿だ、と信じていたのに、今では、誰もが「愛がすべてだ」と信じきっている。

問題はここからである。恋愛は近代社会の根幹を支える『所有』の概念を素直に継承しているので、つぎのような2つの排他性のルールに従っている。1つは、「もしも、ある人が、他のある人(もの/こと)を自分のものだ、と主張すれば、他のいかなる人は、ある人(もの/こと)を自分のものだとは主張できない」というルールである。

もう1つは、「もしも、ある人が、他のある人(もの/こと)を自分のものだ、と主張すれば、その人は、他のある人(もの/こと)以外のいかなる人(もの/こと)をも自分のものだ、とは主張できない」というルールである。これが私的所有のルールであり、これに恋愛も準拠している以上、男女がともに、相互に排他性のルールに従うとすると、相互に一人の相手しか愛さず、ここに愛の独占が二人の愛を正当化する、という論理が成立する。

恋愛・結婚そして愛の結晶としての子供の誕生という一連の核家族の生成・維持のプロセスは、愛の排他性をもとに構築された近代社会そのものの縮図である。もっとも、現実的には、ジェンダー論者が批判したように、この原理を遵守させられたのが女性だけで、男性は排他性の原則をかなり逸脱していた、という事実は自明であり、それが、ジェンダーの非対称性として、核家族批判の論拠とされたことも事実である。ただ基本的なコンセプトとして、愛の相互的な排他性のルールによってしか核家族の成立はありえないのである。

さてここで問題にすべきことは、恋愛が排他性という所有概念そのものから構成されていることである。なぜそれが問題なのかといえば、ネットワークの関係には、排他性を重視する私的所有は基本的には馴染まない。つまりネットワーク環境と核家族は真正面から矛盾する関係にある。

したがってネットワーク環境を優先するとしたら、核家族を支えた恋愛価値に代わる、第3の関係生成の原理が不可欠である。これは、親子関係のような上下・権力関係でもなく、男女関係のような排他的・独占的な恋愛関係でもなく、弱い者同士のしかもジェンダーを超えた、相互依存・支援的な友情(パートナーシップ)を原則とする絆である。ここに新しい家族を形成する契機を期待することは可能なのであろうか。

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