日本を守るのに、右も左もない
351455 表に出始めた明治維新の真実(3)
 
今井勝行 ( 中年層 東京 会社員 ) 19/11/28 PM10 【印刷用へ
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表に出始めた明治維新の真実(3)

「つづく」
「一発逆転サヨナラ満塁弾」将軍様仰天の敵前逃亡

大政奉還後も政権担当を徳川家が担うことで何も変わらない状況が続きました。そこで西郷隆盛の弟を首謀者の一人とする強盗団が江戸市中で暴れます。数百人の暴徒が乱暴狼藉の限りを尽くし、大店(大きな商店)などを次々に襲い、盗み、強姦、殺人、放火などやり放題です。維新の志士といいますが、実際の「業務」の多くがこうした無差別テロだったのです。激高した江戸留守居役諸家、何せ将軍様は将軍に就任して一度も江戸城へ登城したことなくずっと京や大阪にいましたので留守の警備を命じられていた諸家の軍勢が江戸の街を警護していたのですが、彼らが島津家江戸屋敷を焼き打ちします。暴徒が島津家の指図で動くことはわかっていた上、島津家江戸屋敷に逃げ込むのでここを潰さないと取締りにならないからです。
京や大阪も江戸での事件に俄かに緊張感が高まりますが、先に手を出したのは徳川軍です。第15代将軍慶喜公が島津軍の陣営に対する攻撃を命じます。こうして天下分け目でもあり、日本の半分を戦場にする戊辰戦争の緒戦ともなる鳥羽伏見の戦いの幕が切られました。この将軍様、決して腰抜けなどではありません。政治手腕も辣腕で、列強との交渉も自分でやります。度胸もあり、自ら抜刀して長州軍と白兵戦を戦ったこともあります。戦国時代を別にすれば、なかなかいなかったタイプの行動的な将軍様をリーダーに士気旺盛な徳川軍が大阪城に集結、そこで将軍様が「一兵たりともこの城を退くのでない」と檄を飛ばします。
その舌の先も乾かぬ夜、列強公使と密談し、乗船許可書を発行してもらって米軍艦艇に乗り込み、さらに咸臨丸に移ってそのまま江戸城へ逃げ帰ります。この際、供回りはわずかですが、松平容保ら、会津の重鎮らも同伴させます。京都守護職であった会津松平容保は畿内有事の際の軍事権ももっており、将軍様が逃亡となれば松平容保が自動的に指揮を執ることになります。念押しで、容保の弟で京都守護職の配下になる京都所司代に任ぜられていた桑名松平定敬も同行させられます。新撰組や見廻り組といった実戦部隊は京都守護職の直属です。それまでの実績からいっても命を懸けて任務を全うするであろう松平兄弟が徳川軍の指揮を執っては全面戦争となり、寡兵の薩長軍が重囲の中で蒸発するのは目に見えています。
将軍様に余について参れ、と言われて行かない訳にもいかない松平兄弟が去った大阪城には権限をもつ指揮官がいません。当時の大阪湾には兵庫港開港を要求する英東洋艦隊などがびっしり並び、砲口を大阪城に向けていました。咸臨丸の艦長榎本武揚は大阪城に居ましたが咸臨丸が将軍様の命令で逃げてしまいました。 
外からの威圧下、指揮官が次席や次々席の指揮官らと突然、将兵に黙って米国艦艇で敵前逃亡という「いったい何がどうなっているわけ???」状態となり、徳川軍は総崩れとなり軍事クーデターは成功します。

公文書偽造による討幕令、大嘘から始まった明治維新

禁裏の重鎮、岩倉具視は偽の討幕令を偽造、さらに偽物の「錦の御旗」を、ま、こんなもんだろ、と適当に作らせて、「吾は官軍、幕府は朝敵なるぞ」と心理作戦も仕掛けます。明治維新は大嘘から始まったのです。

京の都、大阪城、江戸城を無償で敵に渡した将軍様

江戸へ戻った将軍様は勝海舟に江戸城明け渡しを命じます。結局、この将軍様、在位わずか1年。その間に一気に徳川家は崩壊します。京都守護職に自らが指揮する大阪城からの敵前逃亡に同行させ、今度は江戸城も空にしろ、です。軍事的にも政治的にも経済的にも重要な京、大阪、江戸を自ら放棄したのです。これではどれほど徳川軍が圧倒的な軍事力をもっていても勝てるわけありません。
困ったのは勝海舟です。圧倒的な軍事力を維持しながら全面無条件降伏ですから、いつ反乱や暗殺を招くかわかったものではありません。命懸けで江戸を抜け出し、仲間の西郷隆盛に平穏に徳川が負ける算段を詰めるため密談します。そこへ榎本武揚が檄を飛ばし、これより東海に討って出て薩長の兵站を切る、志ある者は吾と共に参れ、と徳川艦隊への集結を呼び掛けます。血気盛んな将兵は海軍陸戦隊として艦隊に乗り込み勇躍出撃、最も血気盛んな抵抗勢力が江戸を離れ、その間に江戸はあっけなく開城され、一応、艦隊の東海への出撃もあったにはあったのですが、一路北上した榎本艦隊は最後は五稜郭にて志ある者の大半が討死します。
「つづく」
 
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