新しい男女関係(→婚姻制)の模索
351373 代々木忠(AV監督、映画監督、映画プロデューサー)の追求〜人とつながるのが苦手な人。そこには幼少期の親との関係が関係している〜
 
木戸康平 ( 23 大阪府 会社員 ) 19/11/25 PM10 【印刷用へ
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 セックスに限らず、人とつながるのが苦手な人が増えている。もちろんそこには個々の原因があるのだが、女の子たちと話していると、本人が自覚している・していないにかかわらず、幼いころの親との関係が根っこにあると思われるケースが驚くほど多い。


 つまり日本の家族が、もはや機能しなくなっているのだ。「核家族」とはそれまでの「大家族」に対して生まれた言葉だ。1組の夫婦と未婚の子どもから成る「核家族」が、戦後、地方から都市への人口流動によって一気に増えた。高度経済成長がもたらす夢の生活が、そこには待っているはずだった。


 だが、資本主義社会が水面下で求めていたのは、安価な労働力の確保であり、消費者の拡大ではなかったのか? 経済競争は「家族と過ごす時間」をも「働く時間」に充てさせた。


 「大家族」という共同体は骨抜きにされ、誕生した「核家族」も一家の中心を(共働きならば2人とも)企業に取り上げられた。家族崩壊の行方は、現在急増している「単身世帯」を見ても明らかである。こんな現状の中で、いちばん大事な時期に子どもが親から充分な愛情を受けることなど、それこそ夢物語ではないのかとさえ思う。


 だから、親子の関係を修復するためには、まずは「家族」が再生しなければどうにもならないんじゃないかと思うのである。では、どうしたら「家族」が再生できるのだろうか?


 中国の雲南省に「モソ人」という少数民族がいる。彼らは「大家族型」の「母系社会」で、「通い婚」がいまだに行なわれている。「通い婚」とは、男が女の家に夜だけ通ってくる。通ってくるのであって、そのまま一緒に暮らすわけではない。2人の間に子どもが生まれても基本的にそれは同様で、男は自分の実家へ帰っていく。


 「だとすれば、生まれた子に父親は不在なのか?」と思われるかもしれないが、モソ人は子を産んだ女性の男兄弟たちが父親代わりをする。もともと大家族なので、一家全員でその子を育てるということだろう。だから、実家へ帰っていった生物学上の父親も、ひとり寂しい思いをしているわけではなく、自分の実家で生まれた女兄弟の子どもを父親代わりとして育てていくのだ。


 大家族なので大人たちはたくさんいる。自分の子ではなくても血のつながった家族には変わりない。いや、一夫一婦制ではないので「自分の子」という概念すらなく「わが家の子」なのだろう。


 「通い婚」の場合、女に対する愛情がなくなれば男は来なくなる。女の側も嫌いになれば拒絶できるし、別の男を呼んでもOKなのだ。日本人から見ると、「節操がない」と思うだろうか? しかし、事前面接や現場で既婚女性が「セフレが○人いる」と言うのを毎回のように耳にすると、いまや日本で一夫一婦制は実質的には成り立っていないようにも僕には見えるのだ。


 「通い婚」がいいなと思うのは、まず、幼い子どもにとって母親が安定しているという点である。お嫁に行くこと自体が、もうストレスなのだ。母系であれば嫁ぐ必要がない。家族みんなが親みたいなものだから、その子に注がれる愛情はふんだんにある。そこで育まれた、世界への、そして自分自身への信頼感こそが、人とつながるためのかけがえのない土台となるのである。


 家族再生のヒントとして「通い婚」があるのではないかと僕は思うのだが、どうだろう?



(2012年5月18日掲載)



 恋愛と結婚とセックス、この3つは同一線上にあるのが理想だ。もっと言えば、恋人、夫(ないし妻)、セックスのパートナーは同じ人であるべきだと思っている。しかし、世の中の流れはそうではない。恋愛もセックスも家庭の外でする人が増えているし、そもそも恋愛とセックスは別物という考えも広がってきている。


 好きで交際した相手なのに、納得して結婚したはずなのに、なぜ心も体も離れていってしまうのだろう。頭脳優先社会。この社会において、本能は放っておいても育つと考えられている。いや、むしろ育ち過ぎたら困るとも……。だが、本能が育っていなければ、対人的感性も機能しない。恋愛やセックスを遠ざけている最たる要因が、じつはこの未成熟な本能なのだ。


 実際、みんな学校でいろいろなことを学んでいる。そこで身につけた学力は、きっと進学にも就職にも活かされているだろう。けれども、恋愛や結婚やセックスについては学んでいない。教えないのは、それらが経済的な利益を生み出さないからだろうか。あるいは、そこに方程式などないからか……。いずれにせよ、世の中が功利的になればなるほど、対人的感性は萎(しぼ)んでゆく。


 とはいえ、今の流れはもう止まらない。恋愛と結婚とセックスを別々にとらえる人たちが多数派となっていくだろうし、それに対して反論はしない。ただ、言っておかなければならないことがある。見つめ合ってするセックスと目を合わせないセックスは、まったく異なる行為だということだ。


 その差異が性生活に与える影響は計り知れない。相手の目も見ないセックスは、恋愛感情を封殺していく。セックスはやがて快を得るだけの手段と化し、封殺された「感情」がセックスレスを定着させる。満たされない「本能」は、快を求めるのに今度は手段を選ばなくなる。「思考」は外でセックスするもっともらしい理由を考え出すのだ。


 外でセックスする自分を正当化する言葉は、ビデオに出演した主婦たちからも聞いてきた。彼女たちの意見にうなずく一方で、もし目合(まぐわい)ができていたなら、外でセックスすることも、ビデオに出ることもなかっただろうに……とも思った。


 僕も外でセックスをしてきたから、立派なことは言えないが、ある時期を境にばったりしなくなった。娘の悲しげな目と出会ったのがきっかけだった。そんな僕も、結婚して50年が過ぎた。孫にも恵まれた。僕ら夫婦に恋愛感情という言い方は馴染まないけれど、妻を愛しているし、妻から愛されていると実感することは多々ある。最近では「ありがとう」という言葉も増えてきた。
 
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