日本人と縄文体質
348531 遊牧・牧畜と無縁な日本人の生命観
 
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クールジャパン★Cool Japanより『遊牧・牧畜と無縁な日本人の生命観(リンク)』
2012年10月20日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本

日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07) リンク

今回から、(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」に関連する記事を集約して整理している。

◆日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった リンク
日本には、牧畜・遊牧文化の影響がほとんどない。日本に家畜を去勢する習慣がなく、したがって人の去勢たる宦官がいなかったのもそのためである。ユーラシア大陸のどの地域にも宦官は存在したのである。また人の家畜化である奴隷制度も根付かなかった。奴隷制度が根付かなかったのは、世界的にはむしろ例外に属するようだ。

旧約聖書を生んだヘブライ人は、もちろん牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。

「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。

日本人が、ヨーロッパ人の言動に違和感を感じるとき、よく「バタッくさい」という言葉をつかったが、これはまさに牧畜文明に対する馴染みにくさを直感的に表現していたのかも知れない。キリスト教の中にも同じような馴染みにくさを感じるからこそ、日本にキリスト教が定着しなかったのではないだろうか。

◆日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない リンク
日本人の価値観が、欧米とはもちろん、インドや中国など他のアジアの国々とも大きく隔たり、「日本」と「日本以外の世界」を対比できるユニークさを日本は持っている。それは、「人間−生物−無生物」の中でどこにいちばん大きな境界線を引くかという問題に集約される。

欧米人にとって人間は、被造物全体の中で特別に神の「息吹」を与えれたものとして、他の動物とは本質的に違う。神の似姿である人間は、他の動物より決定的に価値が高い。それは、人間の「理性」に根本的な価値を認め、そこに価値判断の基準を置くからだという。ところが日本人は、「生命」に根本的な価値を認めるので、人間と動物は同じ「生命」として意識され、根本的な境界線は人間を含む「生命」と無生物との間に置かれるという。

この違いを示す面白い例として著者が挙げているのは、愛犬のためにお葬式をしてほしいと神父に頼む日本の老婦人の話である。イタリアから来たファナテリというその神父は、その依頼を受けて心底驚いた。イタリアでは、どんなに無学な人からもペットの葬式をして欲しいという発想は出てこないからだ。

欧米でも子供ならペットの葬式をすることはありうるだろう。しかし大人からはそういう発想は出てこないという。欧米では、大人と子供の世界は違っており、その間もはっきりとした境界線がある。そこにもやはり「理性」が育っているかいないかの価値判断が働いているらしい。

ところが日本では、大人と子供の世界が連続しており、しかも欧米で言えば子供の発想であるペットの葬式が当然のように大人の世界でも真面目に行なわれる。日本製アニメの世界的な流行の背景には、大人と子供の世界が連続しているという日本の文化的な特質が大きな要素としてあるかも知れない。大人が抵抗なくマンガ・アニメを見るのもそうだが、作り手の方も、欧米から見ると子供的な発想を保ったまま製作にかかわれるのだろう。

◆日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観 リンク
「日本」と「非日本」とを対比し、日本人の生命観のユニークさをあえて際立たせるなら、図式としては次のようになる。

非日本人  絶対的な価値をもつものの本体(神)≒人間 →→(隔絶)→→ 動物・物
日本人   絶対的な価値をもつものの本体 →→(隔絶)→→ 生命(人間・動物)‖物

日本人は、「絶対的な価値をもつものの本体」(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。
それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。
 
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