原始共同体社会
348485 縄文人のネットワークとムラの形態
 
匿名希望 ( 神奈川県 会社員 ) 19/08/14 AM01 【印刷用へ
交通機関や電話、メール等の情報共有ツールが全く存在しなかった縄文時代でも、他の集落とのネットワークは密で様々なやり取りが行われえていたようです。また、ムラの形態も今とは異なる集団方式を確立しており、縄文時代から学ぶことは沢山あります。


----------------------------以下引用----------------------------

■縄文人の地元愛?! 定住=帰属意識のはじまり
今からおよそ1万5000年前、日本列島に住んでいた人々は、獲物を追って洞窟から洞窟へと移動していくスタイルの生活をやめて、「定住」をはじめます。定住とは、ある特定の場所に家を建て、そこを自らの「所属場所」として長きに渡って暮らしていくことをいいます。やがて縄文人は、豊かな森に対して、人間の居住空間である「ムラ」を形成し、ムラ単位のコミュニティを築くようになります。
長きに渡って暮らす場所には、当然愛着が生まれ、「帰属意識」が生まれます。縄文人も、私達が地元の特産物を自慢するように、自分たちの森や海を誇り、自慢話をたくさん持っていたかもしれませんね。

■日本列島全域に張り巡らされていた集落間のネットワーク
帰属意識のはじまりは、すなわち所属する「内」とそれ以外の「外」という概念のはじまりであり、また「旅」のはじまりでもあります。帰る場所があってはじめて、旅は成立するからです。
縄文時代の遺跡から発掘されるものの中には、その土地では採れない特産物がたくさんあります。たとえば北海道で、(生息していないはずの)イノシシの骨が大量に出土したり、秋田産のアスファルトや岩手産のコハクが青森県の三内丸山遺跡で出土したり、鹿児島本土の土器が沖縄で見つかったり。これは、縄文人が日本列島を縦横無尽に移動し、旅をしていたことの証拠でもあります。
日本列島史上はじめて定住生活を成し遂げた縄文人は、地元への帰属意識とともに、他所の集落との関係性を強固にすることで、どこで暮らしたとしても不便ない生活を送ることができたのです。

■日本全国縄文ネットワーク 翡翠(ヒスイ)の道
日本全国に張り巡らされた縄文人の集落間ネットワークの代表例として、翡翠(ヒスイ)を巡るネットワークが挙げられます。ヒスイは、緑色に輝く宝石の一つで、縄文時代〜古墳時代にかけて、主にシャーマンが用いるペンダントなどに使われました。このヒスイ、良質なものは新潟県糸魚川流域でしか採れないのにもかかわらず、北海道や東北から、九州、そしてなんと沖縄でも見つかっているのです。
ヒスイは、日本で産出する岩石の中でも最高度の「硬さ」を誇る宝石で、それを加工し、製品化するには大変な労力と技術を要します。にもかかわらず、製作途中の未完成品が出土する地域は全国でも数箇所に限られています。これは、石を加工、製作できる集団が限られ、完成品を製品として全国に届けていた(あるいは取りにきたのかもしれませんが)ことを物語っています。

■お土産文化の起源? 縄文時代の「贈与経済」とは
現在、世界を動かしている経済システムは、「市場経済」といいます。市場経済では、商品が生産者から切り離された市場(しじょう)に出され、同等の対価を支払うことでモノが流通していきます。同等の対価を支払うのですから、貸し借りや後腐れはありませんし、商品には人と人の関係性や感情は介入しません。
一方、縄文人の採っていたと考えられるシステムは、「贈与経済」といいます。これは、世界の様々な民族に最近まで見られたシステムで、モノが人から人への「贈り物」や「お土産」によって流通するのです。贈与経済において、「商品」の対価として支払われるものは、強いて言えば「仲間意識」です。
たとえば、内陸に住んでいる人に海産物をお土産として持っていけば、きっと感謝されるに違いありません。「恩を売って」おけば、何かがあった時にはきっと助けにきてくれるでしょうし、山で鹿が余分に捕れたら優先的に分けてくれるかもしれません。
そこで贈与されるものは、ただの「モノ」ではなく、集落間の強固な関係を作っていくための大切な「お土産」であり、人から人への思いやりを形にした「贈り物」なのです。この、田舎の「ご近所付き合い」のような、あるいは親戚同士のお中元やお歳暮のような関係性が、日本列島全域の経済を動かしていたというのです。

■贈与経済の原動力:カミからの贈与
贈与経済が成立する社会の特徴の一つに、「カミ」という第三者の存在があることが挙げられます。本来、自然界の恵みはカミに属すものであって、人間が所有できるものではない、という考え方です。縄文人の「カミ」がどんなものであったかはわかりませんが、捕れた獲物や採掘した石などを、全て自然というカミからの贈り物だと考えたとしても、決して不思議ではありません。

縄文人は殊「円」という概念にこだわったようで、手間暇をかけて作られた大規模なストーンサークルや木柱サークルは各地で見ることができます。また、縄文時代の典型的なムラ「環状集落」は、各家族単位の竪穴式住居が輪になる形で配置され、ムラの中心には墓が設けられます。これは、ムラにあえて中心を作らないことで権力の偏りを生まない効果があるといいます。もちろん、ムラの首長のような「まとめ役」やシャーマンのような「特別な人」はいたでしょうが、圧倒的権力を掌握するいわゆる「王」のような人はいなかったのかもしれません。
とはいえもちろん、縄文時代に戦争がなかったという証拠はありません。集落間の揉め事はきっとあったでしょう。ですが、現在見つかっている他殺体と見られる縄文時代の骨は、一万年を通して日本全体でわずか20体ほど。(!)弥生時代以降、現在まで繰り返されてきた大規模な戦争とは無縁の時代だった可能性は充分にあります。もしかしたら縄文時代には、日本列島全域が、中心のない「大きな環状集落」として機能していたのかもしれません。

縄文時代が、もし本当に「一万数千年に及ぶ天下泰平の時代」であったのだとしたら、それは、贈与経済の根本にある「自然は人間が所有できるものではない」という考え方に依るのかもしれません。



縄文時代の1万年に及ぶ天下泰平の秘密、それはもしかしたら、あれから数千年後の私たちの心に息づく「縄文スピリット」にヒントがあるのかもしれません。
 
  List
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_348485
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
351364 土偶って結局なに?メジャーな仮説をご紹介! 藤井智子 19/11/25 PM01

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp