日本人の起源(縄文・弥生・大和)
347656 安定した縄文時代分業とネットワーク
 
高梨俊寛 ( 56 島根 プランナー ) 19/07/16 AM00 【印刷用へ
解説委員室リンクより

近年では土偶や装飾性の高い土器などの芸術性が注目される縄文文化ですが、これらを道具としてもちいた彼らはいったいどのような社会に生きたのでしょうか。縄文時代とは狩猟採集社会と呼ばれる経済段階に位置づけられ、身の回りの自然に頼った生活をした時代と考えられています。

世界各地に展開した人類文化の変遷を見ると、狩猟採集社会のあとには農耕社会が登場し、やがて国ができる場合が圧倒的に多いのですが、その中でも日本列島は農耕社会の成立が世界の中でも極めて遅かった特徴があります。このことは言い方を換えれば狩猟採集社会である縄文時代が長く続いたということです。
豊かな森と海に囲まれた環境に適応した技術は、農耕を必要とすることのない文化を築きました。

まず、縄文時代を文化変化の質的な変化を示す土器の使い方や作り方に注目して6つに区分してみました。そして各時期の時間幅をその時代に使われた縄文土器に付いたすすの炭素の年代から整理すると、一目してわかるのは、縄文文化が時代の流れとともに加速度的に変化を遂げていることです。  
とくにスピードを早めるのは約6000年前以降の時期です。たくさんの竪穴住居を作って定住的な集落が各地に普及する時代に相当します。そして以後も加速度的な変化が進み縄文時代の終わりの頃と最初では15倍もの変化速度の違いが認められるのです。

 次に彼らの食べ物に注目してみましょう。四季折々に採れる資源が変わるのが温帯地域の生態系の特徴です。さまざまな身の回りの資源の中でもっとも重視されたのは、ドングリです。
ドングリはあくを抜いて、製粉し団子やクッキーのようにして食べたことが出土遺物から分かっています。これらは貯蔵して少しずつ食べたものと考えられ、消費期限を長くすることによって、いつでも様々な食料を食べることが出来るように準備したのです。すなわち、貯蔵技術の発達が安定的な社会の経済的基盤となっているのです。
本州縄文人の主食が植物資源を中心に魚介類や陸上の動物などの様々な食料を組み合わせていたことがわかっています。

またやや細かく見ると同じ東京湾に面していながら、極端に様相の異なる貝類の利用形態があることもわかってきました。数の上で多数の巨大貝塚が台地上に残されるのは千葉県側です。環状貝塚といわれるように、環状に配列した住居の周囲に貝殻を捨てて出来た貝塚です。これは海の資源は集落単位で採取・消費されたことを意味します。
 一方、東京の都心を乗せる武蔵野台地側では、台地上に多くの集落が河川沿いに分布していますが、中里貝塚という当時の浜辺に残された巨大な貝塚が1か所残されるだけで、海際であっても台地上に大きな貝塚はありません。

4・5mもの厚さの貝層が長さ500mにもわたって海辺に堆積しているのですが、その中身はカキの層とハマグリの層が繰り返し規則正しく堆積しています。しかもその貝の大きさは千葉県側の貝塚と比較すると極めて大きなものばかりなのです。武蔵野台地の集団は利用する貝を大型のハマグリとカキに限定しています。これは海の資源管理に地域差があったことを示しています。そして中里貝塚で採取された大型のハマグリとカキは干貝に加工され内陸のムラに流通させていたのです。

 それでは彼らはどのくらいの時間、同じ場所に住んだのでしょうか。縄文時代後期の遺跡から出土した多数の人骨の年代を測定すると、これらの人骨群は1000年の時間幅をもつことがわかってきました。集落遺跡の継続期間が極めて長期に及ぶ証拠です。狩猟採集社会といえば生活も不安定で、そのために住む場所も転々と移動するようなイメージがありますが、きわめて安定的な社会を形成していたことがわかります。
 この時期のムラは5〜6軒程度の住居によって営まれていました。人口は30人程度でしょう。ここで彼らは2つの工夫をしていました。1つは様々な労働に全員で取り組むのではなく、それぞれに分担を決めていたのです。社会的な分業といいます。また、縄文人は装飾品としての翡翠や海の貝、接着剤としてのアスファルトなど遠隔地からの資源を入手しています。こうした事実は、遠隔地にまで及ぶ広域な流通ネットワークが存在したことを示します。一方、文化や社会の発展は潜在的な資源量を超える消費の増大が社会崩壊の原因になることが予測できます。そのために集団の規模を適正に維持し、周囲の資源量の管理や分業やネットワークの利用で適度な人口規模を維持していたと考えることができるのです。
 さらに貝塚の研究で紹介したように、資源を管理する場所を周囲に配することによって、資源の入手に大きな移動をともなわない空間を作ったのです。近年では遺跡周囲の野生のマメやクリなどが大型化していた事実も明らかにされ、彼らは海や山の多くの資源について管理していたこともわかってきました。

 縄文人は農耕に頼らなくても適度な人口規模で消費規模を低減させ、自然の回復力を維持し、集団の中で労働を分担し、さらに遠隔地との間をつなぐネットワークを作り持続可能性社会を営んだのです。こうした縄文時代の社会の仕組みは、農耕社会以前の狩猟採集社会の実像を考える際に重要になるだけでなく、環境破壊や資源の浪費が叫ばれる現代社会の将来を考える場合、私たちに大切な指針を与えてくれていると思います。
 
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南米に渡り、プレインカ文明を築いた縄文人 「縄文と古代文明を探求しよう!」 19/10/27 AM00

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