日本人の起源(縄文・弥生・大和)
347423 今日は地元の高校生に、信越自然郷(高社山)のもつ、世界人類史のなかでの意義を話しに行きます。(2)
 
佐藤晴彦 ( 61 長野 会社員 ) 19/07/08 AM02 【印刷用へ
引き続き、リンクより引用します。
*******************************
さらに、その先にあったのが日本列島です。
巨大な農業生産は巨大王権を産み、そこでは文字も科学も発達しますが、王権の支配権をめぐって戦争が絶えません。そのとき、中国の周辺では、新疆の西のパミール高原・天山からの北回りルート(北方のステップ、騎馬)で、今の北朝鮮と中国の国境の山、白頭山が目指されました。
天山からの南回りルートは、フェルガナ・バクトリアを出てインダス川を下って、マラッカ半島・インドシナを海岸沿いに渡って、ベトナム・広州・寧波と進んで来たでしょう。
 このとき重要なのは、大陸が戦乱で乱れていれば、皆、台湾・沖縄、そして九州に立ち寄ったということです。(九州には縄文時代に上野原遺跡があったことはよく知られ、そこが7200年前の鹿児島南部の喜界カルデアの大爆発で滅亡し、その住民が東や北に拡散したことも確かでしょう。)
秦の始皇帝が大陸を統一してからも戦乱は続きますが、なにせ、穀物生産力がつよいのが中国大陸で、それを引き継いだ前漢の時代には、文字も商業も科学技術も発達します。
 このとき、今の中国東北部(満州)の位置は中華の王権(皇帝)に対し対抗できる、唯一の軍事勢力を形成する地政学的位置を持ち続けました。その理由はその西側のステップルートで、ペルシャ・ローマ方面から多くの技術を持つ職能民や信仰体系がここに来るだけでなく、大陸内部の勢力争い(易姓革命)で敗れたものなどが入り込んで、中華の皇帝権に対する、反抗の拠点にもなったからです。そのときのシンボルが白頭山でした。
しかも、このとき(秦帝国の崩壊後)、朝鮮半島(代表、平壌・京城)には大陸の政治力が及んで複雑な政治状況になりますが、半島の北部には、今の豆満江の河口からダイレクトに日本海を渡るルートがありました。その先には,隠岐、能登、そして、佐渡があり、そこから日本列島の内部に入ります。
当時の日本列島は水稲稲作が九州で定着し、徐々に瀬戸内海に広がり、さらに、秦の圧力を受けた楚から解放された呉越の民が、列島にも入り込みだしました。瀬戸内海に「呉」の地名。さらに、日本海側で若狭湾の東が「越」と呼ばれたのは、それぞれ、この大陸のこの地方が人間が入った事実を示します。
 イエスが死んだあと時代、すなわち、紀元後の後漢時代、列島に入り込んだ大陸の騎馬系部族にとって、列島内で、どこが自分の故郷を想起させる場所か?というと、それが、信濃川(実際は関川)を遡上して高社山を抜けた後の、今の善光寺平です。千曲川水系です(ここに柳沢遺跡や栗林遺跡があります)。ですから、このラインで、馬も、鍛造鉄も、北魏の仏教も入りました。

 このとき、シンボルになった山が「高社山」です。これを「コーシャ・さん」と呼びます。「コシ」とは古代朝鮮語で聖なる山というのが高橋良典説でしたが、実は、その起源はもっと西にありました。ユダヤ教の信仰生活の規範を「コーシャ」と言います。これは、イスラムの「ハラル」に相当します。
バビロンの捕囚から解放されたユダヤ人たちは、一つは、エルサレム神殿の再建、一つは、アケメネス朝の統一国家支援、そしてもう一つは、自分たちが考える「理想の国家つくり」に散らばっています。そのための先遣隊のような役割だったのが、ハランの捕囚からBC607に解放された北10支族の各部族です。彼らの足跡を探しまわっていたのが、南2支族の中のベニヤミンの人間です。
しかし、こうした古代イスラエルの建国・分断・捕囚・解放・新規の国造り、のときに、日本列島では、ずっと無文字のまま、大陸の文明の成果を、見事に取捨選択して取り込んでいきました。有用な実学=科学技術の成果は進んで取り込み、変な「概念」を全て拒否していたのです。
 直感と実用。それは、カタカムナ文献を解明した宇野女史の研究成果である「直感科学」に描出される世界に近かったと思います。
 今、世界人類は、ITがさらに進んで、AIが登場し、しかも、5Gの通信技術が実現する段階になりました。すでに、マイクロチップの埋め込みまで一部では始まっています。これによって、人間の行動を監督・管理するどころか、電磁波の高精密利用で、個々の生命体の意識の世界まで操作が可能な世界が、もう、すぐそこにまで来ています。これは、5Gを駆使した場合、人間の意識操作どころか、直感を感得する脳内の機能にまで、外部から架空のものを「実感」として捉えさせることも可能になります。これでは、心を乗っ取られたと同じことになります。

真実の心を失う。あるいは、他者に乗っ取られるなんて、あっては成りません。心こそ、私たちの最大の資産であり、尊厳、そのものなのです。

 私は、自然がまだまだ残り、しかも、歌と響きで、1万年以上続く縄文からの列島民と、大陸から流れてきた人間とが見事に融合しあって、イノチに合わないものを排除しながら、人間として、さらに大きな、鮮やかなイノチの喜びの輪を生み出すきっかけになった、この高社山という山を、誇りに思っています。
 これを、どう、高校生に話すか? 今日が第一回です。自分自身にとっても、楽しみです。
********************
以上です
 
  List
  この記事は 347422 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_347423
  ※トラックバックは承認制となっています。

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
大学生が授業に出るのはなんで?
「やりがい」に潜む社会的欠乏
カリスマ 〜自分たちが共認できる価値観への評価収束〜 
仲間収束 2:一人でできない子
「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
芸能か、認識形成か

『るいネット』は、46年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp