原始共同体社会
344921 生と死の交換=埋葬
 
三上公平 ( 22 青森県 会社員 ) 19/04/11 AM00 【印刷用へ
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以下ブログより引用
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人類が初めて二元論的な概念を持ったのはいつ、何に対してだったのでしょう。
ここで、ヒトは埋葬を行うことで人になった、とする興味深い説があったのでご紹介します。

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「なぜ埋葬するのか?」を考えてみましょう。
「まず、埋葬を行なうのはヒトだけである。ネアンデルタール人以来、全てのヒトが埋葬を行なってきた。そして地球上いかなるところに棲息するヒトも、必ず埋葬を行なうのである。また、ヒトが死体を埋葬するのは、それが臭いからでも、不衛生だからでもない。以上のことをこれまでのところで明らかにしてきた」
本書では「死体には、価値があるだろうか。死んでしまえば終りだからないと考えるか、それとも掛け替えのない人だったから、あると考えるか」と読者に問いかけ、以下のように答えています。
「死者は、新しい生命と引き換えられるだけの価値をもっていた。初めのヒトが存在したころ、すなわちネアンデルタール人の後期には、ヒトは単なる部族という群れを脱却して、社会を形成するに至っている」

社会とは交換系そのものであり、したがってこの時代には、広範囲に部族間で種々の物が交換されていました。また、婚姻・女性も交換されていたでしょう。本書は述べます。
「一方、ヒトは自分と同類が、死ぬということを認識した。当然ながら、自分の死は認識できない。そして自分と類似した新しい生命体が、いちおう女性の腹を通過することはあっても、どこからか授けられることを知った。相手は、知らない世界の会ったことのない誰かではあるが、交換していると考えれば納得がいく」
それで、死者といえども交換の対象を免れえないことを知るといいます。むしろ、死者の交換のほうが女性の交換より早かったか、少なくとも同時であったかもしれないとして、以下のように述べられています。

「死者も交換される。どこの誰と交換されるのだろうか。それは彼岸の彼方とか、あの世とか、呼び方はいろいろあるが、この世から見た『あちら側』のまだ見ぬ世界の、そしてまだ見ぬ『存在』と交換することになる。

その理由は、死んだヒトの代わりに、新しいヒトを得るためである。つまり死者を『あちら側』の世界に送り出すことで、新しい生命、すなわち赤ん坊を『あちら側』から送ってもらうのである。彼岸の彼方と、ヒトを交換することになるわけである」
さらに、死者の交換について、以下のように述べられています。

「死んでしまえば、単なる骨と蛋白と、脂肪の塊にすぎない死体は、交換されることで、それ自体価値をもつことになる。だから大事にする。その価値を後に、『魂』と呼ぶようになる。

あちら側の存在に対して、死者を送ったことを伝え、新しい生命を送り返してくれることを求めて、儀礼としての埋葬を執り行なった。埋葬は、ヒトを交換するために行なうものとして、始まったということになる。

人類は、社会形成における一側面として、埋葬を行なうようになったのである。したがって、埋葬を行なうから人間なのだともいえる」

そう、埋葬を行なうから人間なのです。
埋葬には宗教がつきものですが、本書には以下のように書かれています。

「最初、彼岸の彼方で死者を受け取るのは、こちら側の自分たちと同じ『人』であった。すなわち、単なる等身大の存在であった。彼らの存在を信じ、埋葬の儀礼をとおして、彼らに死者を送った旨伝える。それが広義の宗教の始まりであった。したがって、人間に成った時点で、つまり埋葬を行なったと同時に、宗教をもったわけである。
この段階での宗教は、『宗教』といえるほど進化したものではなく、あちら側を覗き見しようという、呪術の段階である。しかし、宗教には違いない」

「宗教」の次は「神」です。「神」はいかにして生まれたのか。

「人間は、手で触ったり目で見たりして確認できない、あいまいな存在に対しては、不安と恐れと期待を抱く。またせっかく送り出すのだから、しっかり受け取って、確実に送り返してほしいと願うようになる。

そのためには、死者の受け取り手兼赤ん坊の送り手の『存在』は、確かなほどよい。それで一度も会ったことがないこともあって、徐々にその存在を等身大以上に膨らませていった。全知全能であれば、いうことはない。最も増大した存在が、絶対的な『存在』である。したがって、ジャン・ボードリヤールのいうように、『交換相手が死者』であるのは当たらない。相手が死者では、赤ん坊を送り返すことができないからである。このような絶対的『存在』こそが、広い意味での『神』である。神は、初めから神であったのではない。神となるまでに進化したのである」

次回に続く
 
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