物を所有できないということから生じる所有不全は、私権時代の原動力となりましたが、所有するということを本源的な意味でとらえると、必要物資の確保ということになりそうです。
それは植物の葉の広げ方、茎の高さからも見て取ることができるような、自然界のふつうの現象であり、外部から物を獲得しない限り人は生きられません。
その意味で共認による社会統合が(共認統合を経たうえでの)必要物資による統合であることは明らかなのではないでしょうか。無形の物資(サービス・情報)とてその例外ではなく、高度情報化社会こそが認識形成の場を実現したのですから、インターネットは私権とは無関係に必要な無形の物資の代表と考えることとができそうです。
学校など、旧パラダイム系と本源系が混在している「場」は、何が必要であるかを基準に解体し、再統合することで再生利用できるのではないでしょうか。さすがに、私権時代の産物だからといって、鉄筋校舎を解体するのはもったいないです。
こういった意味の再生利用は、新たな「必要」の一種かと思います。そして、認識段階ではいくらでもシュミレートできる「解体作業」を、現実作業に移すさいに、役に立つ発想ではないかと思い提案しました。 |
|