国家の支配構造と私権原理
339309 古代史における矛盾=「捏造」の疑いの強い記述
 
北村浩司 ( 壮年 滋賀 広報 ) 18/09/20 PM11 【印刷用へ
古代史に置いて捏造若しくは歪曲されている可能性が高い代表的な記述を列挙する。
@倭国と日本国は別の国
 教科書では、『後漢書東夷伝』に、1世紀中ごろ「委奴国」が漢に使いを送ってきたので、皇帝が印を授けたと記されている。このとき授けられたと思われる金印が、江戸時代に志賀の島(福岡県)で発見されたので、中国皇帝と日本列島の使者との交渉があったと考えられている。
しかし「委奴国」を「わのなこく」と読むようになったのは明治時代になってからである。それまでは「委奴=いと」と読み、同じく魏志倭人伝の伊都国に対応させていた。また「委」を「倭」のにんべんを省略したものだと解釈するにしても、この「倭奴」は、漢を北方から脅かしていた匈奴に対する語であり、匈奴の「おじけづいて騒がしい」蛮族に対する、「おだやかに従う」蛮族という意味である。つまり日本を指すものではない。事実、当時「倭」と呼ばれていた地域は、中国の長江付近から朝鮮半島にかけた幅広い地域を意味している。
また、金印が発見されたとされる福岡の志賀の島に邑(ムラ)が当時存在した痕跡が一切見つかっていない。出土されたものも、金印のみである。
金印の存在は、それが盗品であった可能性を伺わせるものである。

A邪馬台国は存在しなかった
 存在の根拠となっているのは「魏志倭人伝」の記述だが、そこでは「邪馬台国」とも書いていないし、その旧字体である「邪馬臺国」でさえない。そもそも「臺」の字は「中央権力の中心の役所」を指す文字であり、魏志倭人伝が書かれた時代では、中国の天子の居所=宮殿を示す言葉である。従って中国皇帝の家来である「蛮族」の王の居所に「臺」の字は使えない 。ではなんと書いてあったか。「邪馬壹国」である。呉音で読めば「やまいちこく」。漢音で読めば「やまいつこく」または「やまいこく」である。しかし「邪馬壹国」では、どうやっても近畿大和に比定することはできない。 そこで「壹」の字に字形が似ている「臺」の字を勝手にあて、それを強引に「やまと」と呼ぼうとした。それが「邪馬台国」の国号の由来である。従って邪馬台国がどこにあったか以前に、この国号自体が歴史捏造の結果なのである。かつ倭人の国は日本とは直接の繋がりはない。

B倭の五王
教科書では高句麗の広開土王の碑文より「倭」との闘いが頻出し、一方で東国の古墳に倭の五王の一人である武=雄略(天皇)の名前が入った刀が出て来た事を根拠として、4世紀から5世紀の時代に「大和朝廷」による日本列島統一がかなり進んでいたとする。埼玉県の稲荷山古墳出土の鉄剣に彫られている、「獲加多支鹵大王」を「わかたける」とルビをふり、「倭の五王の武で雄略天皇にあたると考えられている」としている。しかし「ワカタケル」という読みは第1音を呉音、第2音を漢音、第3音はどちらでも可、第4音はまったく恣意的な読み。そして最後の第5音を呉音と、バラバラないいかげんな読みである。つまり、これまたこじつけである。
さらに古事記の記事には「大和朝廷」と高句麗とがしばしば闘いを交えた事などは全くなく、倭の五王に当たるとされる応神から雄略までの記事を見ても、「大和朝廷」内部での権力抗争ばかりが描かれており、外国と戦ったことなどない牧歌的時代として描かれている。事実、当時の「大和朝廷」は、まだ近畿地方をようやく支配下に置いたに過ぎず、それすらも安定したものではなく、内部抗争を続けていた時代であった。

C 遣隋使は飛鳥王朝が派遣したものではない
飛鳥王朝は遣隋使を送り、「日出る処の天子」で始まる聖徳太子による国書を持参したとされる。
「隋書倭国伝」によれば遣隋使は2回の記述がある。
記録には、『倭王=姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)使者を派遣してきた。倭国王の妻は弥(けみ)と号し、太子は名を利歌弥多弗利(りかみたふり)という。』とある。妻がいることからして倭国王は男ということになる。しかしこの時代の日本国は推古天皇=女帝であり、明らかに矛盾がある。また聖徳太子は当時摂政である。
しかも2回目の遣隋使を受けて随の使者は直接倭王に面会している。従って、女帝と男王を見間違えることもなければ、太子と王を見間違えることもなかろう。
ちなみに後の時代に「旧唐書」では 魏の時代から唐の時代まで通交していた『倭国』とは別の国である『日本国』が、唐に使節を派遣してきたことが記されている。

これらは全て当時中国と通交していた倭国の勢力(それは山形氏によれば中国南沿岸部にあり、後に朝鮮半島に進出した)を、強引に大和政権に連なるものとして、成立の古さと正統性を主張しようとしたものに他ならない。
 
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